3 「ジャム」を語る

●ジャムとは「フリーな精神」のある音楽

−−ジャムについても伺いたいんです。ジャムって、ほんとうに最近になって知った言葉なんですけど・・・

K:俺もや(笑)。

−−ジャムって、わかったような、わからないような感じで、いまだに何だか謎でしょうがないんです。KANKAWAさんは、ジャムってどういうものだと考えていらっしゃるんですか?

K:う〜ん・・・。世間ではいろんな定義があるね。でも、自分自身ではちょっとそれと違う。ジャムという変な既成概念ができつつあるけれども、それはジャムじゃない。ジャムというのは自由な音楽、すべて自由。だから、弾かないのもジャム、弾いてもジャム。フリー・ミュージックのことやねん。

 世間では、コードがあって、メロディーがフリー、リズムは一定、踊れる音楽・・・それをジャムだと思っている。確かにそれは、今のメデスキなんかが活躍していたニューヨークのダウンタウンのクラブ周辺ではそういうふうにしている場合もある。それがワシントンDCに行くともっと顕著で、完璧なダンスミュージックになっているわけや。ドラムは何もしたらいかん、昔のキャバレーみたいな、ディスコバンド的で、絶対に変えたらいかん。その上でオルガンとサックスが自由に遊ぶという、キャバレーミュージックや。

 俺はそういうものには、全然興味がない。でも、今の日本人もアメリカ人も、それで踊るのが好きやという。「ジャムで踊ろう」とか言うてね、それがものすごい人気やね。メデスキなんかでも、アルバムではあんなに自由奔放にやっていて、すごくいいのに、ライヴではお客さんを踊らせることを非常に大事にしているよね。

 僕はジャムで踊ることそのものを否定する気はない。でも、人に「もっとお客さんを踊らせないと」と言われるとイヤなんや。みんなが踊ってくれる幸せな顔が見たいなと思ったときに、踊れる音楽がしたい。この前の、六本木BASH「NORI413」のライヴのときは、セカンド・セットでみんなが踊ってくれたけれども、あれはファンサービスでやったんじゃない。自分が楽しかったから、踊れる音楽になった。やってるうちにみんなが踊ってくれて、よけいに楽しくなった。ああいう自然発生的なものならいい。でも、踊らせなければという強迫観念でやられると、しんどいね。

 僕にとってのジャムというのは、ダンス・ミュージックじゃない。フリーな精神がジャムやねん。瞬間的に思ったものを、瞬間的にやるのが、ジャムやねん。ビ・バップだったら、チャーリー・パーカーの曲なんか、コード進行は、32小節で動いているわけだよね。ブルースは12小節単位で動いているわけでしょ。マイルス・デイビスのモードは、ワン・コードで動いているわけでしょ。みんな、ルールがある。でも、ジャムにはルールがない。こんなに面白い音楽はないねん。

−−確かに面白いんですけど、なぜ即興をバンドみんなでやって、ごちゃごちゃに混乱しないのか、不思議なんです。

K:ジャムという音楽の中で、やっていかんということはないわけ。12小節のブルースをやってもいいし、それを9小節でやめてもいい。この前の六本木バッシュの「NORI413」のときは、オルガン・ベース・ドラムスの3人だったら、自分のやりたいことが7割ぐらいできたわけ。それが「ドライヴ」で5人になったら、やりたいことが4割ぐらいできた。

やっぱり、瞬間的に違うことをやりたいけれど、人数が増えると、なかなか話が遠くなるからね。でも、やりたいことができる割合を、あげていきたいね。5人のジャム、3人のジャム両方とも、それぞれ面白い。5人になってくるとアンサンブルとか、3人のときにはなかった違うことも考えなければいけないから。

 ビ・バップは、できたときにジャズを革命を起こしたわけでしょう。次にモードが革命を起こしたでしょう、それからジャズは発展していないもんね。結局20世紀に最後にジャズを発展させたのはマイルスだね。そこで発展させて、発展させて、最後に彼はヒップホップを作って、ステージで1回も演奏しないで、アルバムだけ作って死んでいったよね。その遺志を受け継いだのがハービー・ハンコック。そうそう、今度のハービーのアルバムは、死ぬほどいいよ。マイルスの音楽を発展させていったのが、ハービーだろうね。

ジャムは、ビ・バップやモードとまったく違う流れにある。MMW(メデスキ、マーティン&ウッド)の手法というのは、DJロジックの影響も大きいね。いまジャムという音楽はできたばっかりだから、みんながもっともっとやらなあかん。世界中のプレイヤーがやって、あと10年、20年たったら、「あのときにジャムという音楽が生まれて・・・」というふうに、音楽の教科書に載るね。だからもっといろいろなタイプのジャムバンドが出てきたら面白い。

大切なのは「精神の解放」と「自分をさらけだすこと」

−−ジャムバンドというと、MMWあたりを指していると考えていいんですか。

K:たとえば、最近ソウライヴなんか人気があるけれども、あれはジャムバンドじゃない、ジャズバンドや。僕らが伝統的に何十年もやってきたジャズと同じやのに、ハモンドB3のベースのラインをとってきて、レスリー・スピーカーとは別にベースアンプを使って、異常なほどに左手と足のベースの音を大きく加工しているだけや。演奏形態、グルーヴ、コード、全部普通の1950年代のジミースミス・ミュージック。ただ、ああしてベースを大きくすると、お客さんは体を動かしたくなる。まあ、よく考えたもんや。よくできたコピーやね。イミテーションや。あれは、ジミー(・スミス)さんが聴いたら怒るよね。

 惑わされたらあかんのや。今流行っている「これがジャム?」といっても、よく聴き、よく見て、感じることや。一番大切なのは精神の解放や。それがないのは、イミテーション。イミテーションはイミテーションやと思うな。そういうのは多いね、ジャムの中でも。

−−確かに、瞬間瞬間で自由に音楽が変化していくのを聴くと、ものすごく気持ちが解放されるんですが、それを感じられる音楽がジャムなんでしょうか。

K:そのときに、一番だいじなジャムの精神、ブルース、愛というものを絶対忘れないように。いつなんどきも。ルイ・アームストロングに敬意を表してね。

 アメリカのフュージョンは、いっとき「音楽遊び」になってしまった。速いキメばっかりで、そんなもんはバンドでムチャクチャ練習したら決まる。遊びにしてはいかん。

僕らには演歌というものがあるでしょう。八代亜紀とか、すごい感動するのよね。それはカンツォーネでも、オペラでも−−日本人だから演歌を聴くと一番感動するわけだけど、そこまでとはいわないけれども、カンツォーネを聴いたって、カントリー・ウェスタンを聴いたって、ゴスペルを聴いたって同じように感動する。

 そのときに1000年続いた日本人のアイデンティティというのがあって、DNAが演歌のメロディーに哀愁を感じる。でも、そうじゃないアルゼンチンタンゴを聴いたって感動を覚えるわけやからね。どんな音楽でも、やっぱり自分を正直にさらけださないと。そして、さらけだす中にはメッセージがないとね。

 そして、そこで悪いメッセージを伝えてもしょうがない。ケンカしよう、暴力・・・今の黒人のラップなんていうのは、戦争だとか、悪いことばっかりいっているよね。そういうことを言ってはいかん。ブルース、愛、感動をさらけださないとね。

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