2 フュージョン・シーンへの危機意識

●フュージョンはジャズである

−−私の場合は逃げたジャズ・ファンとまったく逆で、もともとフュージョンを聴いていて、今回「DRIVE」のメンバーを見てKANKAWAさんの音楽を聴きはじめたんです。

K:フュージョンというのは、アメリカではジャズなのよ。フュージョン・ファンは全員、ルイ・アームストロングも、家で聴いているわけ。チャーリー・パーカーも、ジョン・コルトレーンも聴くわけよ。

ジャズ・ファンというのは、かたくなに30年代のスイング・ジャズとか、50年代のビ・バップとか、ビル・エヴァンスのピアノトリオとか、そういうものだけを聴く。

フュージョン・ファンというのは、フュージョンをかけるラジオ・ステーションがあるから、それがつけっぱなし。一日じゅう台所をしたりするときに、かけっぱなしなわけ。

フュージョンというのは、アメリカでも流行ったんだけど、いまの売り上げは全盛期の8割ダウン。もう激しい音楽というのは、誰も聴かなくなってきた。それよりもとにかく聴き流す音楽、スムース・ジャズやね。だから、いまは状況が変わってきて、フュージョンを聴く人というのは、ジョン・コルトレーンなんかのゴリゴリジャズを聴く人と同じ、特殊な存在になってきたね。

ヨーロッパでもそう。日本の場合は、どうなの? たとえばT-スクェアのファンなんかは、リーリトナーとか、西海岸路線のCTI路線なんかも聴くの?

−−う〜ん・・・、リトナーなんかも聴いているT-スクェア・ファンも、もちろんいると思いますけど、洋楽はあまり聴かないっていう場合もあるんじゃないでしょうか。

K:なるほどなあ。そう思うたら、「DRIVE」バンドは、意味があるね。いま、日本のフュージョンを潰そうと思っているから。ジャズファン、ジャズメンにとって、J−フュージョンの存在は、マイナスや。

−−Jフュージョンのどういうところがマイナスなんでしょうか。

K:ジャズというのは、一番ヒップな音楽のことをジャズという。その時代の一番最先端な音楽のことをジャズという。その中には、当然、「愛」がある。その「愛」というのは具体的にいうと、ブルースのことやね。ブルースがあるのが、あるのが「愛」、ブルースが「感動」。

ブルースというのは、悲しいときに「お前は死んでしまえ」というのも愛情だし、やさしくはげますのも愛情やね。いろんなアプローチがある。そういった人間の持って生まれた歴史、お父さんとお母さんに作ってもらったありのままの感情を出す、ほ乳類、ホモ・サピエンスとしてのありのままの感情を出す。これがブルースやね。どんなにいい演奏をしたって、それがないのは、ジャズやない。

デューク・エリントンは、違う言い方をしたよね。「世の中には、ジャズもクラシックもない。あるのはいい音楽じゃ、悪い音楽か。That's it」といって死んでいったね。世の中にはジャズもポップスもクラシックもない、あるのはいい音楽か、悪い音楽か。

じゃあ、いい音楽と悪い音楽とは何か。マイルス・デイビスがそのあと言っている、「Nothing but blues」、ブルースがなければ意味がない。僕は、バッハでもチャイコフスキーでもドビュッシーでも同じことがいえると、信じているね。

だから、あなたの今の質問に答えるならば、J−フュージョンにはブルースがない。せめて、一番新しければ、ヒップであれば・・・・でも、それもない。Jフュージョンは、もっとも古い音楽でしょう。10年前のことをそのままやっている、そして肝心のブルースがない、だから、いらない。

今後ね、いまの中学生が大人になったときに、ジャズを聴いてほしいよね。だけど、そのときに、このままにしておくと、20年後、30年後、日本にはジャズやフュージョンという音楽は消える。とにかく、フュージョンしてる連中としゃべると、みんな毒されているねん。

−−それは、何に毒されているんですか?

K:アルバム売れにゃいかん。ツアーを行かにゃいかん。どうしよう、どうしよう、どうしようしかない。そればっかりなわけよ。わしらはミュージシャンやないか、というても通用しない。僕はテレビの仕事が長いから、ダウンタウンみたいなお笑いタレントとつきあいがある。彼らがデビューして悩んでいるのと同じ精神状態やな。

−−何をめざせばいいのか、よくわからなくなっている状態ですか?

K:そういうキレイごとじゃないな。もっとお笑いタレントっぽい。「どうしたらこの世界に残れるだろうか、どうしよう」と悩んでいる。そこで仕事の8割がスタジオにいく。でもスタジオはスタジオミュージシャンがいて、フュージョンの人は入れない。入れるのは一部だけや。ほとんどのフュージョンの人は、さっと譜面を読んで完璧に演奏するというスタジオミュージシャンとしての力量はない。だから芸術性で勝負せねばならないのに、意識がタレントのほうにいっている。タレントやねん。

 そういう意味で、則竹はタレント志向なのかと思っていたけど、違ったね。彼の家に行ってお父さん、お母さんと7時間ぐらいしゃべったかな。彼はお父さん、お母さんの傑作や。お父さん、お母さんが、どうやって彼を大きくしたか聞いたら、いや、ジェラシーを感じるぐらい、ほんとに大事にされたら人間はこうなるんだというのがわかった。彼が自分の子どもに接する様子が、また同じや。あの子どもも、絶対則竹君みたいになるわ。人間はあそこまで大事にされると絶対に曲がらない。
 
 みんな中途半端に優しいんや。たとえば子どもが泣くからお菓子を買ってあげようとか、そういうその場限りの愛情やね。でも、則竹のところの親は、違う。彼を育てるのに、全身全霊を傾けたね。あそこまでの愛情を受けると、人間はあんなふうに、ピュアになる。そういう意味で、彼は僕のまわりで初めての人間やね。

 僕は最初、長野県で「ドラムは誰?」ときいたときに、則竹といわれて「うそぉ」と言った。悪いけど彼の音は聴いたことはなかったから「則竹って、それはひょっとしたらT-スクェアちゃうの」と言った。あのときみんなが則竹がいいドラマーだと言ってくれなかったら、僕は一生、彼としゃべることもなかったろうね。それぐらいフュージョンの人はジャズの人に誤解されているということや。そして誤解されているのは則竹ひとりではないと思うよ。

●日本のジャズ・フュージョン音楽業界の構造

−−フュージョンのミュージシャンがタレント志向に毒されているという話がありましたが、そうなる原因は何だと思いますか?

K:ジャズミュージシャンというのは、日本人でもアメリカ人でも踏まれて大きくなっている。僕もお客さんにブーイングされて、ジャップ、ジャップといわれて。オルガンをビール瓶で1週間に何回も割られた。お客さんは、イエローの日本人がアメリカのたったひとつしかない文化のジャズを演奏するということが、耐えられへんのやろうね。だから僕も踏まれて、大きくなってきた。

 ニューヨークのハーレムという街で、バンドリーダーは10人ぐらいしかいない。あとは普通のメンバー、いわゆる「兵隊」やね。日本の場合は、全然ちがう。ひとりいくらとかいうてやっているから、日本に帰ってきてびっくりした。たとえばジャズクラブに出て、ひとり2万円やったら2万円、5人で10万円という計算。アメリカは違う、バンドリーダーが8割とる。8万円とる。そして2万円をあとのメンバーでわける。アメリカもそう、ヨーロッパもそう。リーダーもそれ以外のメンバーも一緒なんて、日本だけや。これはいかん。誰も練習しなくなるわ。

−−ギャラの配分方法の違いは、バンド・リーダーのあり方とか、メンバーのミュージシャンの意識に大きな影響を及ぼしますね。

K:これでは誰も練習しないし、タレントを目指すと思ったわ。

−−日本の音楽業界の、構造的な問題なんですか。

K:そう、構造的な問題。アメリカのミュージシャンは、みんな叩きあげられて、その中で生活もしていかなければならない、でも、生活だけでではなく、自分の音楽性も大事にしていかなければならない、ふたつのはざまで悩むわけや。

 だから、ジャネット・ジャクソンのツアーに、たとえば半年行く、あとの半年はジャズをするとか、みんなそうする。マドンナのバンドで半年ツアーに行ったら、5億円ぐらいもらえる。スティービー・ワンダーのバンドでも、1億ぐらいもらえる。それぐらいくれるわけよ、アメリカは。それであと半年はジャズをやる。

ジャズというのは全然お金にならないんですよ。ジャズとポップスで、お金の差はものすごいね。でも、ジャズのほうを頑張って頑張って、ジャズの仕事を多くする。歌謡曲のバック、スタジオの仕事、ポップスのバックをやりながら、ジャズの仕事のほうが上回った人だけが、ジャズのスターになれるんですよ。それがデヴィッド・サンボーン、ジョージ・ベンソン。

 でも、ニューヨークの30年代、40年代というのはジャズが歌謡曲だった。ジャズメンが「キャー」といわれて、お客さんが何千人も入った時代があった。ジャズは日本の演歌と同じアメリカの文化だからね。でもその後に非常に大変な時代が来て、ジャズでは生活ができなくなった。その中でもジャズのスターになった人は、歌手に限らずジャズ・シンガーという。「楽器で歌をうたう人」とは、いい言葉やね。

日本の場合も、昔はジョージ川口さんみたいなスターがいたね。進駐軍ではジャズが一番ヒップやった。みんな食べるものがないときに、ジャズメンだけがいい服を来て、ネクタイをしめて華やかな演奏をしてね。うちのお袋なんか見に行ったらしいけど、後楽園球場でジャズのコンサートがあって5万人もお客さんが集まる時代があった。それがなくなったあとに、みんなが「やらせ」で作ったのがJフュージョンやね。もちろん発端はリー・リトナーなんかのコピー物かもしらんけどね。

日本のフュージョンのライヴは、チャージバックでやっているわけよ。お客さんが払うチャージがその夜のライヴの売り上げになるけれども、日本ではそこで6割もっていく店があるというから、驚いたね。一番あくどいオランダでも、店の取り分は5割までなのに。

−−日本のライヴハウスは、海外に較べて、取り分が非常に多い傾向があるんですか。

K:そう。演奏するのはアーティストなのに。アメリカだったらミュージシャンに6割戻ってくるところが、日本にはお店が6割をもっていくところがある。だから、ライヴハウスでフュージョンを演奏しても、ミュージシャンひとりのギャラは8000円ぐらいになってしまうことが多い。ジャズの場合は、若い子で1万円、年寄りで2万円と決まってることが多いね。

−駐車場代、交通費、リハーサルのスタジオ代、打ち上げ代・・・と考えていくと、経費でギャラが消えてしまう場合もあるでしょうね。

K:僕は、その仕組みも、後輩のために全部変えたい。これじゃ、ジャズミュージシャンを目指すやつがいなくなる。なかでもフュージョンは状況がきびしいね。地方にいくとジャズとフュージョンの人気の差は歴然としている。北海道や九州に行くと、ジャズコンサートなんかにはものすごい人が入る。僕がやっているゴスペルは、ホテルのショーもチャージ1万円で入れ替え制の超満員。ギャラも、ライヴハウスでフュージョンを演奏する場合なんかと較べたら話にならへんで。

だからね、フュージョン文化というのはないも同然よ。当たり前や。そういうふうにしてきたんだから。もちろんジャズでも、そんな超満員になるのはごく一部のバンドだけやけどね。それでも若い子が田舎の小さいジャズ喫茶で50人ぐらいの前で演奏したって、東京のライヴハウスでフュージョンを演奏するよりも、まだお金になるのと違う? そういう意味でも、ジャズよりもフュージョンのほうが厳しいよ。

 僕の息子はドラマーで、この前ニューヨークで21歳でデビューした。ニューヨークの若いミュージシャンをとりまく状況と、日本のミュージシャンをとりまく状況は、あまりにも違うね。

 いま変えないと、もう10年後にはJフュージョンはなくなるよ。そのうちライヴハウスは倒産して、みんな何もかも終わってしまう。そのころ今のフュージョンのミュージシャンは、60、70歳になって、演奏できなくなっていて、それですべてが終わってしまう。現在のJフュージョンを今の形で後世に残していく必要はないんだけど、いい形にして引き継ぐ必要はある。

 雑誌もライヴハウスも変えていかないと、これからどんどん先細りや。そういう意味で綾戸智絵ちゃんがヒットしてくれたのは大拍手や。やっぱりああいうスターが出てこないと、業界はダメになってしまう。スターが出てきて雑誌が売れて、一般に広がっていくというようにならないとね。

 フュージョンの場合、雑誌でよくとりあげられるスターはジョン・スコフィールド、マイク・スターン・・・パット・メセニーあたりか。ニューヨークには、面白いミュージシャンがもっといるんやけどな。僕はK−122のギタリスト、IZUMIには期待してるんよ、あれはすごいギタリストになると思う。せっかく出てきたああいう若い才能を育てなければ、もったいない。そういう意味で、「DRIVE」を頑張らにゃと、ここ最近すごく思う。そうしないと、みんながこの世界で活躍できなくなる。「DRIVE」バンドは、すごく良くなると思うよ。まだ、これからなんだから。

(次へ)


Index | 1 | 2 | 3 | 4 | 5