1 走り出した「DRIVE」バンド

●Jフュージョンのミュージシャン達とバンドをはじめた理由

−−KANKAWAさんは、なぜJフュージョンのミュージシャンと一緒に「DRIVE」というバンドを組むことになったんでしょうか。

K:バンドを組んだのは、去年の長野ジャズフェスティバルでKANKAWAセッションというのがあったわけよ。面白いのは、そのプロモーターから電話がかかってきて、メンバーは全部こちらで決めたいという。それで僕は日本人ミュージシャンを知らないし面白いから引き受けたけど、ひとつだけ、ベースだけは清水興にしてもらった。そこでギターが是方(博邦)、もうひとりギターと、ドラムはセシル・モンローと一緒に演奏した。

 その日、すごくオモロかった。えらい盛り上がって、俺が足でオルガン弾いたりして、みんながウワーとかなって。それで、いっぺんぐらい日本人でバンド組んでみようかなと思ったわけよ。メンバーは、みんなで決めた。是方君と清水ちゃんに「君らに任せた、君らがいちばん組みたい人を選んでくれ。今日のような勢いで演奏できたらいい。全員日本人で、やることに意味があるから」といって決まったメンバーなんや。縁みたいなもんやね。

 僕が去年出した「DRIVE」というアルバムは、実は1991年に作ったアルバムだけどテープ持ち逃げ事件とか、いろいろあったんや。アメリカはムチャクチャやね。それから音源をやっと取り返して去年アルバムが出た。さて、レコ発でツアーするにはバンドがいる。それで「いっぺん面白いから日本人だけでやってみようかな」と、脈絡もなく、ずっと続ける気もさらさらなく、作った。それだけだった。

 2月の初ツアーで、最後のTLG(お台場・トリビュート・トゥ・ザ・ラヴ・ジェネレーション)の2日目がなかったら、このバンドやってないね。あの日に演奏していたら、すごく楽しくなった。内容は忘れたけど、あとでMD聴いたらすごい面白かった。是方君というのは不思議やね。やってるときよりも、あとで聴いたほうが、すごくちゃんと弾いてるのが聞こえてくるんやね。うれしいなあと思った。あれは本当に不思議で、奇妙や。
 カツヲ(勝田かず樹)は、あれはいい。あれは文句なしに良くなる。可能性は秘めている。日本においておくのはもったいないね。性格もいいよ。カツヲは音がデカい。肺活量がある。思い切りもあるし。あれがもっと成熟してきたら、面白いな。5〜6年ニューヨークに行っても面白くなるね。いま、フュージョンでサックスを吹いている人の中でも、カツヲには特にパンチがあると思う。

 それよりも今はドラムが重要やね。則竹とは以心伝心を深めていきたいと思っている。サックスは音を10個吹いて、1個良ければいい。音程がはずれても、フレーズ間違えても、音がひとつ良ければいい。でも、ドラムはあかん。ドラムはパーフェクトでないと。ドラムというのは、バンドリーダーや。KANKAWAバンドのリーダーは則竹や。コンダクターでありバンドリーダー。まして、ジャム的なアプローチをしようと思うと、フュージョンよりもジャズよりも、もっとドラムが大事やねん。すべてはドラムや。どこから来てもいい。則竹もそれがわかってきて、楽しくなっていると思うよ。

●なぜ逃げた男性ジャズファン

K:それで「DRIVE」バンドを組んで驚いたのは、お客さんの99%が女性だったこと。2月の初ツアーのときはあまり気にしていなかったんだけど、この前6月21日にヤマハでライヴをしたとき、マネージャーに「男性は来ていたか」ときいたら、「少し来ていました」という。そこでハッと、これまで聴きにきてくれていた男性のお客さんが、いなくなっていたことに気がついた。

 僕はこれまで、クラシック・ジャズを長いことやってきて、そういう音楽を聴きにきているお客さんは、圧倒的に男性が多かった。それが一瞬にして、怖いくらいいなくなった。要するにバンドの面子だけ見て、ジャズファンが逃げたということやね。いま、それが一番の悩みなんやね。すごく嫌やねん。「ドライブ」をやればやるほど、みんな俺のことを誤解しているんじゃないかと思った。でも、「ドライヴ」は、絶対にひよったバンドじゃない。

 やっぱり健全な形というのは、男女の比率がフィフティフィフティや。男性が99%というのも、女性が99%というのもおかしい。今までクラシック・ジャズを何十年としてたときのお客さんは、どこへ行った。去年のバーナード・パーティ(ds)、ソウル・メッセンジャーズ・フィーチャリング・KANKAWAのライヴには、あれだけ男性のお客さんがいっぱい来たのに。その前には、B3バンドでクラブチッタ川崎に男性ファンが1000人も入った。みんな、どこへ行ったんだろう。

−−クラシック・ジャズのファンにも是非「DRIVE」を聴いて欲しい、ということですね。

K:クラシックジャズとは、1950年代までの音楽のことをいうわけよ。スイングがあって、ビ・バップがあって、モードがあって、その間にマイルスの時代があるよね。それが発展していって、マイルス・デイビスの「ビッチェズ・ブリュー」ってアルバムがあって、その次にフュージョン、ジャズロックという流れがあるわけ。でも僕は若いときに1950年代の音楽をはじめて、40年代、30年代、20年代に戻っていた。

 一時期、僕がたまたまラッキーだったのは、アメリカで、ルイ・アームストロングのバンドのメンバーで、世界でジャズをはじめて演奏した90歳ぐらいのメンバーと一緒にやらせてもらった。バディ・テイトとかアーネット・コブといったテキサステナーの代表選手と4年ぐらい一緒に演奏していたね。
 
 僕はカンザス・シティー時代のカウント・ベイシーのバンドに憧れていた。デューク・エリントンのオーケストラがまだない時代に、カウント・ベイシーのバンドが、まだ9人編成でシカゴにいく前に、カンザス・シティーにいた時代の音楽がある。僕はそのオリジナルメンバーたちに憧れて、初期のジャズに戻ったんやね。この流れを「テキサス・テナー」といって、受け継いでいる人には僕も2年ぐらい一緒に演奏したクルセイダーズのウィントン・フェルダーとか、この前亡くなったスタンリー・タレンタインとか、その後輩のデヴィッド・サンボーンがいる。

 アメリカに行く前に僕が演奏していた音楽は、1950年代のハーレムの音楽とか、いわゆるアート・ブレイキーといった初期のハード・バップだった。特にジミー・スミスの影響が強かったから、グラント・グリーン、ケニー・バレルの流れを組む音楽を、自分のバンドで演奏していた。そして、そのときのお客さんは99%がジェントルマン。それも40代の男の人が多かった。

 1960年代、70年代に、リチャード・ティーやコーネル・デュプリーの「スタッフ」とか、「クルセイダーズ」とか、ジャズの歴史にフュージョンという音楽が現れてきた。僕もアメリカから一度日本に帰ってきたときに、なにか面白いことをしようと思って、清水興(b)と東原力哉(ds)と演奏をしていた時期があった。力哉君というのは、デビューが僕のバンドやった。
 
 僕がそういう音楽を演奏しているときも、お客さんの9割が、男性だった。女性は1割。その女性というのは、エレクトーンを弾いていたりするオルガン・ファンで、あとの女の子はいわゆる洋楽ファン。洋楽ファンというのは、やっぱり男性が多いんやね。
 
 それから僕がデニスとやっているB3バンド。ギタープレイヤーは今度、サンフランシスコでハードロックのとんでもないやつをみつけたんだけどね。このB3バンドのお客さんは、99%が20代の男性だった。

 この前六本木のSTB139というライヴハウスで、僕がプロデュースした人の杉本喜代志(g)という人のライヴに出たんだやけど、それは健全やったね。お客さんの6割が男性で、4割が女性。半々かな。

1曲目はスタンダードだったけど、バーンとソロをした瞬間にフュージョンのコンサートの10倍ぐらい歓声が来た。うれしかったね。僕はその日、サイドメンだったんだけど、ロック・コンサートのように「ウウァーッ」と歓声があがった。ひさしぶりに「覚えてくれてて楽しいなあ」というのがあった。

 でも、「DRIVE」っていうのはもっとおもろいのになんで来ない。俺はこのバンドにはまだまだ反省点があるけど、面白いと思っている。
 
●「DRIVE」を本気でトレーニングする。合宿もやる 

K:この前の6月21日に渋谷エレクトーンシティでコンサートをしたら、はじめて「DRIVE」が自分のバンドという気が起きて、本気でやってみようと思った。そうしたら、「DRIVE」のことが、ものすごく気になってきた。エレクトーンシティから、当日の演奏を録ったビデオとMDを送ってもらって、このバンドを自分のバンドとしてトレーニングしようと思った。

 今まで、「ドライヴ」バンドは、まだ何もトレーニングしてない。僕はこれまでアメリカ人には教えたことあるけど、日本人には教えたことがない。アメリカ人は開放的だから、「ダメダメ。きみ、こうしてこうして。ノーノーノー。やってみな、違う違う」。ギターのバッキングでは、CDを聴かせて「フィル・アップチャーチはこうしてる、ジョージ・ベンソンはこうしてるだろ、やってみな。ほら、リズムがとれた」というふうに自分のバンドをトレーニングしていた。

 でも、相手が日本人だと、言いにくい。「こんなことを言ったら傷つかないか」「怖いと思われないかな」と、いろんなことが気になって、怖くて、本音が言えない。

 だけど、はじめて「DRIVE」をやっていこうと思ったから、これから教える。ほんとうに心をオープンにして、なんでも思ったことはウソをつかずに、本音でつきあっていこうという気持ちになれたことが、うれしいねん。

−−なんにもしてなくて、あれだけ面白い「DRIVE」って、すごいですよね。

K:「DRIVE」はスピードはあるバンドだから、持久力をもっと鍛えるために、合宿をしようと思ってる。一からレッスンして、とにかく曲をやる。8ビートの練習を、せなあかん。

 まだ音楽的なミーティングもしてないから、今日のインタビューで僕が言ったような話もしていない。だから今度、9月のツアー前に合宿をやる。スタジオ温泉つきの宿舎で、24時間音を出せて録音もできるところを清水が探してきたから、すごく楽しみにしてる。何がしたいのか、いっぺんそれぞれのメンバーが持っているアイデアも全部きくつもりだし。

 合宿をしたら、こういう話もできる。いつも、ライヴが済んだらみんな疲れているから、そんな難しい話もできない。美味しい物を食べてもらって、お酒でも飲んで、あとは帰らせるだけだから。日頃聴いているようなCDもいっぱい持って、合宿に臨みたいなと思っている。

−−楽しみですね。でも、わざわざ合宿をすることで、お金も手間もかかりますよね。そこまでしようと決意した理由って何ですか。

K:理由はふたつある。ひとつは俺が日本人だけで、どこまでバンドができるのか見てみたいということ。

 もちろん、演奏だけならアメリカ人もイギリス人もオーストラリア人もOKなんだけど、やっぱり自分の中で「俺はイエローだ」「やっぱりイエローのブラザーだ」という意識が、日増しに大きくなってくる。自分の国の自分のブラザーを大事にすることができて、はじめてインターナショナルなんだと思う。これまでは「ジャズはアメリカの音楽だから、日本人だけでは無理だ」という意識がすごくあった。でも、そうじゃない。日本人だけでできそうな気がしてきた。これが一番の大きな理由だね。これが8割。

 あとの2割は、若いミュージシャンのために、いまの音楽業界を変えるため。やるべきことはちゃんとやる義務がある。僕は「DRIVE」のような新しいバンドが圧倒的なファンの支持を得ることで業界を変えたい、それが自分の義務だと思う。

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