則竹裕之 Cyber Interview Part 3.

則竹氏の音楽的ルーツとミュージックセミナーについて



美芽.
セミナーでは、哲学っていうか、宇宙の話をなさってたとうかがいましたが。
則竹.
そんな大それたものではないです。(笑)僕1本教則ビデオだして、その中でも言ってますけど。あの時点と今ではまた少し変わってますが、でも大筋ではあれがもとになっているんですけど。だから、その・・・正確なリズムってなんだろうっていうところでね。その・・・ドラマーって常に、バンドの中でリズムボックス的な役割っていうか、タイムキープとグルーブっていうことを、まあ、その任されたような形になっていますけれど。正確なリズム、タイムキープっていうのは何なんだっていう、その、そしたら、当然時間って何?っていうことになるでしょう?で、まあそれはその、天体っていうのが、規則正しく回っているから時間の観念っていうのがわれわれにあるわけで。これが不規則なものだったら、その、昼いつ来るかわからない、夜いつ来るかわからない世界の中ではね、きっと時間っていう概念はなかったんだろうなってところに、考えがいったんですよ、ある日。で、僕らがその、すごく一定周期で動いている宇宙の中で生かされてるんだなって思って、僕宗教やってませんけど、興味はあるんです。だから、僕に本とかも人がくれるんですね、また僕に。きっとこの人はこういうのが好きだろうって。(笑)で、読んでると、自分がいろいろ自分のなかで考えているところと一致するところがすごく多くて。だから、あの、こういうところから、「リズム」っていうところに入るのも面白いかなって。ドラマーって、いつも恐怖心と戦っているっていうか、いつも同じテンポで、同じフィーリング、いつでもね。風邪をひいてるときでも、熱あるときでも。音を出すときはいつもそれをみんなに提示してあげなきゃいけないっていう責任感っていうか、そのプレッシャーが大変なんですよね、ツアー何十本もやってると。・・・うん。カウント出す前の緊張感は、かなりのもんなんですね、毎曲。自分がまずいカウント出したばっかりにその曲のイメージを台無しにするようなことになってはいけないわけでしょ。だから、タイム、っていうそのものを意識すると、すごくドラマーっていうのは、あの・・・なんていうんですか、針の穴に糸を通すような・・・、非常にその・・・・。むずかしいっていうか、決して自由な世界じゃないっていうかね。でも本当は音楽っていうのはもっと自由なはずじゃないですか。僕がそのタイム感っていうのと宇宙の運行っていうのが、あっ・・・と思って一致したときに、なんか楽になったんですね。うん。(考えて、納得して)・・・うん。まあ地球上に生きて、この宇宙の中に私たちは生活しているわけだから。絶対に「タイム感」っていうのはあると。例えば、朝起きて、必ず8時に起きちゃう。同じ時間にトイレに行きたくなって、同じ時間におなかが空く。そういうのっていうのは、もう体の中に時計っていうのがあるから、そこであとは、正確なリズムを出さなきゃいけないっていう自分からいかに解放してあげて、自分の中にある時計に気がつくっていうかね、その時計っていうのも自分だけの時計じゃなくて、一緒にいるメンバーとか、お客さんとかね、バイブレーションというか波動っていうかね、それを感じていれば、きっと、ベストなグルーブって出せるんじゃないかな。そういう・・自分が楽になりたいが為に考え出した話で。うん。
美芽.
なんか歯磨きの話と通じるものがありますね。(則竹氏は、教則ビデオ「ドラム・ ユ ニバースの中で、演奏していく上で「感じる」ことの大切さを話し、その例として「歯 を磨こう磨こうとすると血を出してしまう、そうではなく歯に歯ブラシがあたっている のを意識すると自然に歯が磨けている」という話をしている。)
則竹.
ああもう同じですね。(笑)よく知ってますね、細かいこと。恥ずかしいんですけど。 そんな歯磨きの話なんか・・・(笑)
美芽.
ビデオでお話なさってましたから。(笑)じゃあ、ミュージックセミナーでも参加 者 の方とはそんなお話をなさったりとか・・・
則竹.
そうですねえ。・ ・・まあ、「則竹はやっぱりそうきたか」って思う人と、「何言っ てんの、この人」っていうのがね、ぱっ・・・と見ただけで、二通りあると思うんです けど。別に難しいことをいうつもりはないんですよね。
美芽.
私なんか聞いてて「そうだなあ、うんうん」と思いますけどね。
則竹.
そうでしょう?
美芽.
何か本などで、特に一致したものってさっきおっしゃいましたけど、何かあります か ?
則竹.
これはねえ。某ミュージシャンから借りたんですけどね。
タオっていう、道ってかいてそれをタオって読むらしいんだけど。あの、その本ってい うのは、まあ、お弟子さんと師匠の問答形式になってるんですね。お弟子さんが師匠に いろいろ質問するわけですよ。スパッとこう・・・100%迷いのない答えをパッ!!・ ・・・ と出すっていうのが、このぐらいの厚い本にダアアアッと書いてあって、すごいんです よ。で、一番一致したなと思ったのは、その、・・・ピーター・アースキンさんも(Cy ber Fusionで)インタビューやられましたよね。ドラマガ(ドラム・マガジンのこと)で 言われてたことで、僕、「あ、すごく同じだな」と思ったことがあったんです。ドラム を叩く上で一番何が大切かっていったら、いろいろ書いてらし たけど、センターを感じることが大事だって、かいてあったんです。物事の中心を感じ ることなんですけどね。
その僕の借りた本の中に、師匠がね、二人のお弟子さんと一緒に炊きビルの上でお話を してたんですって。そしたら急に、大地震が来た。うわあーって揺れている中で、一人 の弟子は、「師匠すみません、私恐いから逃げます」ってすぐ階段おりて下へ逃げたん ですよ。で、もう一人の弟子は、「あの、先生逃げないんですか」ときいたわけですよ ね。で、「僕のことは気にしないでいいからがまんしないで、逃げるんだったらはやく 逃げなさい」と。その人は揺れる中迷ったんだけど、「すみません」ってやっぱり階段 を下りて地上へ逃げちゃったんですよ。で、その先生は動かなかった、その場にいてず っと逃げなかったんですよ。で、地震がおさまってまた二人の弟子がヒョコヒョコあが ってきて、どうして逃げなかったんだっていう質問があるんですよ。で、そしたら師匠 は、「私だって逃げました」と。私はその、自分の中の中心に逃げた、・・・というわ けですよ。
美芽.
なるほど・・・!!
則竹.
「どうせ地震なんだからどこに他行ったって揺れてるでしょ」、ってね。同じ揺れてる 中で、私は自分の中の中心に逃げた、というんだけど。人間の心っていうのはね、台風 と同じで、台風の目の中は非常に穏やかな、風が吹いてなくてすごく安心できる平和な 世界で、外へ行けば行くほど強い風が吹いている。そういうところにいて心を乱される よりは、気持ちの真ん中に・・・逃げたってわけですよ。
ドラマーって常にその、ドラム叩くときも両手両足ばらばらでやってますから、どこか 一つに神経が行くと、・・・・すごい細かい作業やってますからね、末端へいくと・・ ・・そこへ神経がいくと、もう、ノイローゼになるんですよね。こう・・・うん。コン トロールしていくと。で、そこから自分の気持ちの居場所としてはもっとこう体の中心 の方にいって、自分の体のセンターへいって、こう・・・良くわかるし、4つやってい ることがよくわかるし、客観的に見られるし、すごく・・・どんな複雑な演奏をしてて も常に穏やかでいられるっていうのはいいことだ、っていうかね。その話とピーター・ アースキンの話と自分が思ってたことっていうのが、3つバッと合ったんですね。これ が。
美芽.
なるほど・・・。うちの編集長の橋も、ピーター・アースキン氏とはメールのやり と りをさせていただいてますが。
則竹.
もう、アースキンさんはウェザー・リポートがジャコ・パストリアスの頃、アースキン とジャコパスだから・・・「8:30」が出た時代かな。あのコンサートツアー、僕、大阪 フェスティバルホールだったっけな・・・厚生年金だったかな・・・どっちかに見に行 ったんですよ、僕。中・高校生のころだね。もうピーター・アースキンのシンバルワー クが大好きで。(嬉しそう!!)あの人のリズムって、何かこの・・・あの躍動感って 他の白人ドラマーでは比較するべき人もいないぐらいすごいと思うんですね。うん。だ から、今回の取材でそのピーター・アースキンさんもやられたっていうから、何で俺な んだっていう(笑)あんなすごい人の次じゃ申し訳ないなっていう・・・。うーん。
美芽.
今までの音楽人生というかですね、ドラムとかコピーした曲についてもうかがいた い んですが、ものごごろついたら、ドラムを叩いてたんですか?
則竹.
そうですね。叩いてたっていうか(笑)とりあえず親父がやってたんで。親父は商売し てましたからもちろん・・・セミプロって形でね、やってたんですけど。だからそうい う親父で、ドラムセットがうちにありましたから。だから今日からドラムをやるぞって いう記憶はないですね。
美芽.
だんだん練習をするようになったというわけですよね。小学校のときによくコピー さ れた曲は・・・ビレッジ・バンガードの夜でしたっけ?
則竹.
ああ、そうですね。エルビン・ジョーンズのやつですね。あれは、よくコピーしました ね。(笑)コピーするというかその、レコードに合わせて演奏するのがすごく好きだっ たから・・・。同じことをやるのが目的じゃなくて、さも、自分が一緒にまじってその クラブでやってるぞっていう。(笑)
美芽.
小学生のときに・・・。スゴイ小学生だったんですね。
則竹.
いやいやそんな。(笑)まあ、たまたま親父の影響でジャズが好きだったんですね。
美芽.
則竹さんが小学生のころって、フュージョンってなかったですよね。
則竹.
はい。
美芽.
それ以外に当時よく聴いていたアルバムって・・・
則竹.
当時やっぱり・・・いっぱいありますねえ。(笑)もちろんアートブレイキー、ジャズ メッセンジャーズも聴いたし、あと、サックスだったらもっと古いコールマン・ホーキ ンスだとか、よく聴いたっていうとデューク・エリントンとコルトレーンのコラボレー ションのアルバム。あとマイルスとかね。
美芽.
じゃあ、小学生のときはばりばりジャズだった・・・。
則竹.
そうですねえ。
美芽.
いつぐらいからフュージョンになったんですか?
則竹.
フュージョンになったのは中学に入ってからですね。・・・当時は、クロスオーバーと か、ジャズロックとかいってましたけどね。リーリトナーとかウェザーリポートとかラ リーカールトンとか・・・・
美芽.
そういうのをいっぱい聴いて・・・。
則竹.
そうですね。でも、中学になってバンドを組みはじめたんですよ。
美芽.
中学校からバンドをはじめたんですか。
則竹.
はじめましたねえ、バンドは。はじめたんだけど、仲間がジャズをやる人がいなかった んです。当時はエレキブームで、みんななんかエレキギターを買う人がまわりに多くて 。「何やる?」「ジャズやろうよ」って言ったんだけど、そんな人はいなくて、結局ハ ードロックをやることに・・・。
美芽.
えっ!?ハードロック!?
則竹.
でも、それも僕すごい好きで。ジューダス・プリースト・・・ブリティッシュ・ロック の・・・見に行きましたねえ。で、念願のフュージョンのバンドを組めるようになった のが高校に入ってからで、そのときにKくんにであったんですよ。
美芽.
サンタナをやってらしたんですよね。
則竹.
サンタナですね。彼もすごいサンタナ好きで。ちょうど知った時期で、ああいうラテン ・ロックってすごい新鮮で。一緒にコンサート見に行きましたねえ。エディー・マネー とのジョイントコンサートだったですね、なぜか(笑)大阪フェスティバルホールだっ たかな? 
 Kくんてすごく面白い人でね。彼のうちって、すごい田舎なんですよ。うちもう中学 時代はバンドはうちで練習してたんですけど。高校になってからは高校も田舎で、彼の うちが近かったんで僕らの青年団っていうバンドの巣窟になっちゃったんですね。練習 場所というか。ご両親には感謝してますけどね。
美芽.
音を、出し放題・・・?
則竹.
うん。よく練習しましたねー。当時はサンタナもやったけど、高1でサンタナをやって 、高2でカシオペアをやったんですね。高3で渡辺香津美さんという、こういう、俺達 世代ではお約束の・・・(笑)
美芽.
Kさんが、カシオペア前と後で則竹さんの音が変わったとおっしゃってました。
則竹.
まあ・・・、僕、神保さん(当時のカシオペアのドラマー)は、当時一緒に死んでも いいと思ってましたから。(笑)この人となら自殺できるっていう人が・・・当然向こ うはいやでしょうけどね。スティーブ・ガッドと神保彰さんっていうのは、その、永遠 のヒーローなんですよ。これは誰が何といおうと。(笑)うーん。で、すごくいい人だ し。まあ、今はバンドも・・・まあ、ライバルっていう言い方はおかしいですけど、戦 うわけじゃないから。ジャズフェスなんかで共演することあるし。もう・・・いつもド キドキしますね。
美芽.
神保さんのドラムセミナーに行かれたんですよね。
則竹.
行きましたねえ。
美芽.
河口湖でしたっけ?どうでした、行ってみて・・・
則竹.
・・・・もう、ほんと嬉しいですね、嬉しかったですね。・・・・で、何を具体的に教 わったかっていうの、覚えてないんでよ。一緒にいられることが嬉しくて。で、最終日 、最後の夜に、カシオペアのメンバーとマイナスワンセッションで「ASAYAKE」をやら せても らって。で、うん。で、終わったときに、向谷さんに「君いくつ!?」とか言われて。 で、「17です。」とかいったんですよね。そのときのやりとりがテープに録ってある んですけど。(笑)「うまいねーーー!!!!」とかいわれて。で、神保さんが、「う ちのクラスの自慢の子なんだよ」みたいに紹介してくれて。そしたら野呂さんがね。そ のときは僕すごく有頂天になってて。で、そのセッションの会が終わって、つかつかっ て僕のところに来て。「君に足りないものは、あとこれだね」っていわれたんですよ。 それで「あっそうか!!!」と思って。で・・・うん。そう。僕、OTTOTRIOに参加した じゃないですか。(T-スクェアの安藤まさひろ、カシオペアの野呂一生、是方博邦の3 人のギタリストを中心としたバンド。)のあれって、もともと鈴木リカ徹さんってかた があのセッションの初代ドラマーで、ライブがあるからって安藤さんに誘われて六本木 ピットインに見に行って。で、「僕にやらせてほしい」っていって、安藤さんを口説い て。「じゃあ、是方くんと野呂くんにいってみるよ」っていってくれたんです。その座 を奪い取ったんですよ。・・・どうしても、野呂さんとやりたかったんですよね。その ときの言葉って、僕、鮮明に覚えてて。「あのときよりは、うまくなったでしょ」みた いなことをね。向こうは当然忘れてるだろうと思ってたんですけど。何となく覚えてて くれたみたいで、で、すごく嬉しくて。
また話変わりますけど、今、僕たちがセミナーやるじゃないですか。そしたら、僕に教 えてほしいって各地から来るじゃないですか。で、僕はね、自分が神保さんのセミナー を受けた印象が、鮮烈に残って、一生の3つの思い出に入るような出来事だったから。 うん、この子たちにも、そういう、きっとね、そういう出来事なんじゃないかなと思う とですね、つい、こう・・・ね。いとおしくもなるし、「がんばらないと」と思うんで すけど。
美芽.
スケジュールをやりくりしてセミナーをやってるっていうのは、そういうご自分の 体 験が大きいですか?
則竹.
うん、だから、さっきいったように、何を教わったかっていうのは覚えてないんです。 (笑)覚えてないんだけど、一緒にいて、この、三日なり四日なり過ごすっていう・・ ・この、事件というか、ハプニングというか。非常に、大事な、大切な・・・僕らにと っても大切だけど、彼らにとっても大切な、想像以上に大切なことだっていうか。それ をわかって、一緒にいてあげられればいいかな、と。うん。・・・神保さん優しかった ですからね、当時から。
美芽.
T-スクェアのメンバーを講師として、10月からアーティストビレッジを開始される ん ですよね。(T-スクェアのメンバーによる定期的なレッスン)それも、このセミナーの 延長上にあるっていうか・・・?
則竹.
そうですね、セミナーよりはもっと長期的な展望にたってやらないといけないんですけ ど。で、僕、教えるのって好きじゃないんです。こんなこといっていいのかわからない けど。なんていうかな・・・。うーん。まあ、自分自身、神保さんに習ったっていうか 、まあそのセミナーに行くこと以外は習ったことなくて、まあその・・・なんていうか な。音楽っていうのはその、・・・自由じゃないですか。自由になりたいっていう気持 ちがすごく大事なきっかけだと思うんですよ。それをその、教えることによってその、 どんどん囲いを作っていくことにだけはならないようにしないと、いつも思うんですけ ど。「それはいけない」とか、「そうやっちゃいけない」って言うって、すごい危険だ と思うんですよね。うーん、だから、そういうこと考えると教えるのこわくなるじゃな いですか。あの・・まあ、今度始まるわけですけれど、とにかくこの人は自分ではない んだ、と。生徒さんは。自分では将来どうなるか、誰もわからない。そういう気持ちで 接したいなと思ってるんですよね。
美芽.
楽しみですね。
則竹.
楽しみですね、こわいけど。(笑)
美芽.
最後にあの、ソロ活動のことについておうかがいしたいんですが。ギタリストの是 方 博邦さんとよくセッションなさっていますよね。
則竹.
是方さんなんか一番多いかな。同じ関西人だし。こう・・・楽しいですね。是方さんと 一緒にいるのって。すごい・・・幸せな感じがしますね。あと、・・・そうだなあ・・ ・最近ちょっとごぶさたしてるんですけど、永井敏己さんていうプログレ界のベースの 人と、意気投合してしばらく・・・まあ、KORE-CHANZを通して知り合ったんですけど。 彼のセッションに呼ばれるようになって、一緒にやったり。で、その筋のミュージシャ ンの友達ができて。元聖飢魔Uの石黒彰さんなんだけど、はじめてプログレってものを 教わって。(笑)・・・また、その石黒さんて人がすごくいい曲書くんですよね。彼は 、その・・・本田くんと同じ、国立音大出てて、で、もちろん、アカデミックな頭も持 ってるんだけど、感性がすごくね、心の琴線っていうか・・近いものを持っているなっ ていうか。僕がうまく曲を書けるようになると、こんな曲を書ければいいなっていう曲 を何気なく「ドバーン」と持ってくるから。また、来年ぐらいやりたいなと思ってます けど。・・・あと、ベースの池くん。ついこの前も連絡あって、「いろいろ面白いこと やっていこうよ」って言って。うーん。彼はその、ベーシストとしてだけじゃでなくて 、プロデュースするのもすごく興味あるみたいで。すごい才能のある人だし。まあ、そ うですね、そうやって同じ世代の中で、うーん・・・そういう横のつながりっていうか 。スクェアだけじゃなくて、そういういろんな才能に触れることによって自分を開化さ せていきたいなって、いつも思ってますけど。で、そのうちほんとの自分のソロ活動っ ていうか、自分がイニシアチブとってやれるような活動っていうのは、したいですね。
美芽.
具体的には。
則竹.
来年じゅうに、何か。足がかりが・・・
美芽.
アルバムを出すとか?
則竹.
いや。それはわかんないですけど。とりあえずライブからでもいいし、デモテープ作る のからでもいいし。うん。そういうつもりでいるんですけどね。
美芽.
あの、「clione」って曲ありますよね。
則竹.
よく知ってますね。(笑)
美芽.
ライブで聴きましたので・・・(笑)ちょっとパット・メセニーふうというか・・ ・ ・似てるといっては失礼になるかもしれないんですが、その香りが・・・・
則竹.
パット・メセニーはねえ・・・。素晴らしいですよ。
美芽.
あの曲はお皿にのる(CDにおさめる)予定は・・・。今、のってないですよね?
則竹.
のってないですね。あれも、なんてことない・・・曲なんです。あの、すごい単純だし 、繰り返してるだけだし、あの、ライル・メイズ(パット・メセニー・グループのキー ボード奏者)のシンセの音ってあるじゃないですか。ぴよー・・・っていう。あの音が すごい好きで。で、たまたま自分が買った「プロテウス」っていうシンセサイザーに似 た音が入ってて、で、出てきたメロディーがあれで、「あ、よし、打ち込んどこう」と 思って。(笑)そうやってできたんですけど。あの曲・・・ねえ、もうちょっと展開さ せて、ドラマチックに・・・アレンジできるようにすれば、お皿にしたいなと思います けどね。あの曲はまだ未完成ですから。
美芽.
ライブハウスに私何度か行ったんですけど、女性ファンがすごくて則竹さんに近寄 る のが大変だった記憶がありますね。
則竹.
そんなことないんじゃないですか?
美芽.
中学生とか結構いますよね、ときどき。
則竹.
・・・・お母さんづれで・・・そうそうそう。
美芽.
ビックリしちゃいましたけど。こんな時間に帰るの?って。
則竹.
まあ、でも僕も中学のとき親父といってましたからね。そういうことかなって。ホント に、以外と、こう・・話してみると、ちゃんと音楽・・・を求めて来てくれるなってい うのがわかるし。で、もっと遅い時間にやれればね。やるほうとしては、少なくとも僕 は好きなんですけど、うーん、ああいう人達のことを考えるとね、あれがいっぱいかな ・・・と。
美芽.
遅い方がいいというのは、何か理由は。
則竹.
まあ・・・雰囲気ですね。・・・うん。
美芽.
いろいろお花とかプレゼントとか、持ち帰るのが大変じゃないですか?
則竹.
いや、それは。いやーーー・・・・・感謝してますけどね。その、嬉しいですよ、やは り、プレゼントもらえるのって。で、ファンレターも楽しみに読みますからね。で、す ごい嬉しいことが書いてあったりすると、あのー、「お袋ちょっと見ろよ」みたいな感 じで。「うちの中にいるあなたをみせてあげたいわ」みたいな感じでね。(爆笑)いわ れちゃいますけど、思いっきり。
美芽.
お母様と、ご同居なさってるんですか?
則竹.
あの、親父もいっしょです。だから今、二世帯なんです。
美芽.
・・・というと、5人家族・・・?
則竹.
5人家族です。もう、風通し良すぎるぐらい、いい家で。(笑)
美芽.
あと、最後に4月までの予定などをお聞かせくださいますか?
則竹.
まあ、大ざっぱにいうと、12月あたまからレコーディングに入ります。そして、恒例 の、年末のチキンジョージとピットイン・・・5daysずつ・・・ピットもファイブ?( と、坂本氏の方を見て、氏がうなずく)あ、そう。
坂本.
今、目が点になってなかった?(大爆笑)
則竹.
いや、嬉しい、嬉しい嬉しい。(笑)
坂本.
年明けもちょっとレコーディングして、で、1月中にどこか次のアルバムジャケット用 の撮影にどこか海外へ行って、一応4月中には、スクェアとしては、リリースしたいな と。そのあとは、また、ツアーに出たいなと、いうことですね。大ざっぱに言うとそん な感じで。
則竹.
なんか早いですよね、一年。
美芽.
ほんとですね。・・・今はゆっくりできる、貴重な時間なんですか?
則竹.
そうですね。そのー・・・・何時に出社して、っていうのがない仕事でしょ。だからそ の、難しいですよ、オフって。で、僕らってオフってあってないようなものだから。曲 書こうと思えば書けばいいわけだし。難しいですけどね。でも温泉行って来ましたし。 ゆっくり休ませてもらったな。
美芽.
温泉がお好きだというお話ですが・・・
則竹.
大好きです!!(笑)この間にもう2回行きました。
美芽.
2回・・・(笑)どちらへ?
えー、箱根・箱根。・・・箱根2回ですね。その筋の情報ほしいときは言ってください 、いろいろ・・・いい露天風呂の旅館とかね・・・・・。
坂本.
世界にひろめる・・・温泉記(笑)
美芽.
CyberFusionの、「則竹さんの温泉紹介コーナー」とか・・・(笑)
則竹.
ええもう、是非。(笑)
僕も、これを機に・・・ねえ。インターネット、勉強してみようかな。
坂本.
うちの事務所でホームページを作るから、そうするとのぞけるようになるよね。
美芽.
インターネットもご覧になってほしいですけど、ニフティサーブのほうもT-スクェア の話題では盛り上がってますね。
則竹.
あ、そうなんですか。
坂本.
お話はもう、・・・よく知ってて、きいてます。うちの事務所のメンバーも、書き込み はしてませんがときどき見てますね。結構細かい話も出てるそうですね。
美芽.
全国各地のツアー情報で、会場によってMCなんかは違うので見てて楽しいですけ ど ね。あと、例えば則竹さんのお洋服とか・・・
則竹.
え!うわああこわいな・・・こわいっていうか・・・
美芽.
そんな、よくないことは書いてないですよ。相模大野のコンサートでは須藤さんの お 嬢さんがいらしてて、「パパーーー!!」と叫んでてかわいかった、とか。(笑)その コーナーにKさんが「はじめまして。ノリちゃんの友達です。」と書かれていたのがき っかけで知り合ったんです。
則竹.
僕がすごく会いたがってたって伝えてくださいね。その前に、たまにはコンサート見に こいって。で、楽屋を訪れてくれって。
美芽.
はい!!お伝えしておきます。今日は長い時間、どうもありがとうございました。


前書き
Part 1. ニューアルバム「B.C.A.D.」について
Part 2. 1996年の日比谷野音ライブについて

Interviewd by Mime
Photography by Linda
Copyright 1996 by CyberFusion