ラジオでも、バイクでも。
音をコントロールできれば、それは僕にとって楽器
松本圭司インタビュー
松本圭司メッセージ
はじめに
「T-スクェアのサポートに25歳のキーボーディストが入るらしい」というニュースが飛び込んできたのは、1998年の秋のことである。
長年在籍した和泉宏隆が退団し、後任のキーボーディストとして迎えたばかりの難波正司も1年とたたずに退団。新しいキーボーディストを決めるためのオーディションが行われ、当時葉加瀬太郎のサポートなどで活躍していた松本圭司が選ばれた。
当時のT-スクェアと松本を結ぶ線として表に見える部分としては、本田雅人の後任で入ったサックスの宮崎隆睦が参加しているバンド「バック・ベイ・ギャング」に、松本もメンバーとして参加しているということがあった。
松本はその時期に行われた「オットットリオ」のレコーディングに参加したり、98年のT-スクェア年末ライヴにもサポートとして出演する。ライヴでは見事な演奏をしつつ、ステージ上でカエルのぬいぐるみを楽器のかたわらに置く茶目っ気あふれる様子も見せた。
1999年に入ってはじまったT-スクェアのアルバム「スイート・アンド・ジェントル」のレコーディング、夏のツアーにもサポートとして参加。その非凡な演奏センスは、すぐに話題となり、注目を集めていく。
全国ツアー後の夏の日比谷野音ライヴで、松本はT-スクェアの正式メンバーとなる。コンサート冒頭で松本が登場。サンプラーを駆使した声ネタなどが展開され、観客がびっくりしているうちに、則竹裕之の代表作「勇者」が松本・須藤・則竹によるピアノトリオではじまった。アコースティックのグランドピアノとサンプラーの組み合わせは非常に印象深い。
翌年、このピアノ・トリオは「トリオ・ザ・スクェア」というバンドとして、全国ツアーを敢行する。ツアー最後の演奏となったのは、NHK−FMのSESSION505に出演して行われた公開録音だった。2000年のT-スクェアのアルバム「T-スクェア」に、松本は4曲を提供した。
びっくりするほどキャッチーな「A DAY IN A DAYDREAM」、ニューオーリンズ・スタイルの「TAKING MOUNTAIN(TOPS)」、淡々と続く8ビートが心にしみ込むような「BELFAST SONG」など、松本の音楽性がリアルに感じられる内容となった。そして8月にT-スクェアが伊東たけし・安藤まさひろのユニットとなったのに伴い、松本は正式加入して1年あまりでT-スクェアを退団することになった。
松本の実力については、多くのミュージシャンが認めるところである。作曲、アレンジ、シンセサイザーの演奏はもちろんのこと、アコースティックピアノでジャズも弾けば、ターンテーブルやサンプラーなどもまったく抵抗なく使いこなすセンス。ギターやベースも演奏し、フュージョンにとどまらず、ロック、ソウル、ファンク、ジャズ、現代音楽までカバーする広い音楽性。
いったい松本圭司というミュージシャンは、どうやって現在のスタイルを身につけてきたのだろう。
T-スクェアにいた期間は、彼にとっていったいどんなものだったのか。今回こうした疑問に、松本自身から答えてもらうことができた。インタビューは2時間以上にも及んだため、本文はT-スクェアに入る前のプロフィール編と、T-スクェアに入ってからの近況編の2つに分けて構成している。
松本をよく知っている人はプロフィール編から、彼がどんなミュージシャンなのか知りたい人は近況編から読んでいただく、というのもいいかもしれない。
もくじ
●小4でウェザーの「バードランド」を弾く
●ピアノは「練習嫌い」
●ロック、ソウルにはまった中学時代
●高校で本格的バンド活動をはじめる
●上京、そしてミュージシャン生活へ
近況編 〜松本圭司のやりたい音楽とは? T-スクェア在籍期間をふりかえる〜
●ツアー公演後のセッションで生まれた「トリオ・ザ・スクェア」
●音楽には光だけではなく陰がある。ぼくは陰だけでもいい
●前衛的でポップな音楽が好き
●どの曲にもソロが入っている必要があるんだろうか
●ライヴを通して楽器は1台が理想。レスポンスの速い楽器が欲しい
●ゴキゲンな音響でピアノが弾けたら幸せ
●「アナザーグリーンワールド」
●ファンからのメールが励みになった
ソロライヴの詳細については・・・
松本圭司のサイト anothergreeenworld
松本圭司ファンサイト kerossmileingreenplaceNHK-SESSION505の収録の様子が読める小川もこさんのサイト もこ's HOMEPAGE
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Interview & Text by Mime
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