Jim Beard Interview
4枚目のリーダー・アルバムにあたる最新作「Advocate」を発表したジム・ペアード。彼は過去、マイク・スターン、マイケル・ブレッカー、ボブ・バーグ、ビル・エヴァンス、ジョン・マクラフリンなどフュージョン界を代表するアーティスト達のアルバムに参加してきている。ジムはキーボード奏者としてだけでなく、コンポーザー、プロデューサーとして彼ら作品に関わり、ジム・ベアード流の独自のカラーでサウンドに色づけし、彼の作品にも、大きな影響を与えてきている。 今回はニュー・アルバムを中心に、話しを聞くことができたと同時にジム自らの手によるディスコグラフィーまで寄稿してくれた。 |
Masato Hashi (MH) まず新譜の「Advocate」についていくつか質問させてください。「Advocate」は日本語では「主張する」といったような意味ですが、このアルバムではどんなことを「Advocate」したかったのでしょうか?コンセプトとかテーマとかあれば聞かせてください。 Jim Beard(JB) 新しいものと伝統的なもの、エレクトリックとアコースティック、風変わりなものと馴染んだものとを組合わせることで、音楽的な冒険を主張しようとしているんだ。 あまりに多くの僕にとっての音楽界のヒーローのようなミュージシャン達が、伝統や懐古趣味にはまり込んでしまっているように思えるんだ。 MH 「Advocate」の中ではサックスのBob MalachとギターのJon Herringtonは日本でも比較的しられていますが、他のミュージシャンはあまり情報がありません。よかったら紹介していただけますか? JB Arto Tuncboyaciyan: 僕が最初にArtoに会って一緒に仕事をしたのは92年にJon Heringtonsのアルバム「The Complete Rhyming Dictionary」を作っていた時だ。それ以来Bob Berg, Bill Evans, Patches Stewartなどのアルバムで一緒に演ってきている。彼はAl Di Meola, Joe Zawinal, Marc Cohenなどともツアーをしたりレコーディングしたりしている。 Gene Lake : 彼はOliver Lakeの息子で、最初に会ったのは97年に彼がMeshell Ndege Ocelloとツアーでロスアンゼルスにきていた時だった。彼はDave Sanborn and Steve Colemanともツアーやレコーディングをしている。 Matthew Garrison: 彼はJimmy Garrisonの息子で、97年と98年にJohn McLaughlinsの「The Heart of Things」のツアーで一緒に演奏したんだ。その前は彼はZawinal Syndicateにいた。 1990年にChuck Loebのアルバムで初めてZach Danzigerとは仕事をしたんだけれど、ZachとTim Lefebvre、Pete Davenportが作ったアルバム「Bluth」の音楽が僕に影響を与えて、これら3人の大変クリエイティブなミュージシャンを使うことにさせたんだ。 MH 1曲目の「Fever」のリズムは非常に複雑に聞こえますが、どうやって作ったのですか? JB 「Fever」はまずリズムなしで作曲した。そして僕が2つのループを作ってからArtoが演奏した。そこでZachが彼のパートを重ねてから、最後にGeneとMatthewが生で演奏したパートを重ねて仕上げたんだ。 MH 3曲目の「Hope」はヴォイスのパートが特徴的ですが、どこからこのアイデアは来たのでしょうか? JB メロディーの部分のことかな?それとも掛け合いの部分かな? メロディーの部分にヴォイスが欲しかったので、ボブ・マラックのバセット・ホーンとヴォイスを重ねたんだ。これでヴォコーダーを使わずにヴォコーダーのような効果を得ることができた。掛け合いの部分はArtoが、この部分を聞いた時に叫び声の掛け合いというアイデアを出したんだ。 MH 7曲目の「Jazz」という曲はいわゆる伝統的なジャズではないのですが、何故「Jazz」というタイトルを付けたのですか? これがあなたのジャズのスタイルなのでしょうか? JB ウェブスター大辞典のジャズの定義を要約するとこう書いてあるんだ。「黒人系アメリカ人によって始められたいくつかのタイプの音楽のどれかで、通常強いビートと、バンドの中のミュージシャンそれぞれによる自由な演奏を伴う」 僕のジャズのヴァージョンは多くの他の人達がジャズだと思っているものとは違うんだ。多くの人達にとってジャズとは伝統的なバップを起源とするいつも同じのアコースティックなセッションということか、もしくはありふれた雑音のようなスムースジャズということだ。だから僕はこの曲にジャズというタイトルを付けたんだ。 MH あなた自身のアルバム以外にも他のミュージシャンのアルバムを数多くプロデュースされていますが、プロデュースする時に気を付けていること、ノウハウなどあれば教えてください。 JB アーティストのヴィジョンをわかるように手伝ってあげるというのがプロデューサーとしての仕事だ。(アーティストがプロデューサーのヴィジョンの理解を助けるというとは逆だよ。)あるアーティストは僕に作曲やアレンジ、ミュージシャンの選定など多くのことで貢献してくれることを望むこともあるし、アーティストによっては何を誰にしてほしいのか、はっきりとしたピクチャーを持っている場合もある。はっきりしている場合は、僕はただそのプロジェクトが順調に進むように、確認するのが主な仕事になる。 MH キーボード奏者として、最近はよくジョン・マクラフリンと演奏しているようですが、どのようにして彼を知合ったのですか?また彼についてどう思いますか? JB ジョン・マクラフリンの「Adventures in Radioland」のレコーディングの為にビル・エヴァンスがイタリアに行った時に僕の「The Wait」という曲の入ったテープを持っていったんだ。彼らが予定の曲を全て録り終えてしまった後、ジョンはまだアルバム用の曲を録音したがったので、ビル・エヴァンスが持っていた僕のテープを聞かせたところ、ジョンはすぐにバンドのメンバーにすぐに曲を練習して次の日にレコーディングできるように指示をしたと聞いている。結果的に「The Wait」はそのアルバムの1曲目に収められた。ミッチ・フォアマンが、そのバンドを抜けた時ジョンは僕をマハビシュヌのギグに呼んでくれたんだ。それが1986年のことさ。それ以来、何年ものあいだ僕たちはちょくちょく一緒に仕事をしている。ジョンはすごく親切で、寛大で、気さくな人だよ。彼は音楽的にもすごくオープンで、どんな音楽でも聴いているし、いつも自分のバンドのメンバーをできる限りフィーチャーしようと努力してくれるんだ。 MH それとあなたはデニス・チェンバースとも頻繁にプレイしているようですが、彼についてのコメントを聞かせてもらえますか? JB デニスは偉大なドラマーだよ。他に言えることはないと思うな。 MH あなたの好きなレコードをジャンルを問わず10枚挙げてください。 JB MH 今まで一番印象に残っているレコーディングを教えてください。 JB アルバム「Song of the Sun」の録音での「Diana」という曲トゥーツ・シールマンスの演奏だ。彼は1テイク演奏して、吹き終わったら目に涙を浮かべていたんだ。彼は僕の曲に感動してくれて、とても心に触れるような演奏をしてくれたんだ。 MH 他であなたのディスコグラフィーを見たのですが、「Triumphant Sax」が最初のレコーディングということになっていました。あなたのプロとしての初レコーディングは何だったのでしょうか? JB 「Triumphant Sax」は僕の最初のレコーディングではないよ。「Triumphant Sax」は、マイケル・ブレッカーの「Now You See It.......Now You Don't」からのカットで僕が作曲してマイケルと演奏した曲だ。僕の最初のレコーディングは1987年のデイブ・リーブマンの「Homage to John Coltrane」だ。参考までに僕のディスコグラフィーを付けておくよ。 MH 最後の質問ですが、今後のレコーディングやツアーの予定を聞かせてください。 JB もう次の自分のアルバムのための作曲を始めている。そして春にかけて「Advocate」のプロモーションのためのツアーをしていく予定だ。フィンランドにスタジオをつくることにしているので、作曲するためにそこに滞在することにもなるだろう。またArto Tuncboyaciyanのアルバムがポール・ウィンターズのレーベルから発表されることになっている。ビクター・ベイリーの「Low Blow」のプロモーションのためのツアーにも参加することになるだろう。 MH どうもありがとうございました。ツアーの予定には是非、日本もいれておいてください。 |