ハービーとの再会 美芽. ずいぶん前の話ですが、ハービーメイソンとアイズ・オブ・ザ・マインドのレコーディング中に、クローズトボイシングに変えたというお話がありましたよね。 向谷. 懐かしいですねえ。この間のレコーディングでは面白かったですよ。1980年のそのレコーディングのときは、アッパー・ストラクチャー・トライアドっていう考え方がすごく強くてね。テンションをトライアドに集めてボイシングするっていうのがすごく好きだったんですよ。どこでもそれを弾いていたんですね。高い音域のあたりで「ガーンガーンガーンガーン」なんて。それを右手をハービーに払われちゃったんですよ。「うるさい。それじゃギターが聴こえない」って。シュンとなったのを覚えてます。そのあとからは、もちろんオープンも使うんだけどクローズでやることのほうが多くなりましたね。そんなもんだから、17年ぶりにロスでレコーディングやったんですよ。ハービーに「見てみて!!ほら、左手だけしか使ってないぞ」ってね(笑)。そしたらハービーが覚えてたんですよ。「あのとき、思い切り右手を払われちゃって手が腫れて弾けなかった」なんて言ったら、「NO!NO!そんなことはない」なんて言って。結構そういう会話が楽しかったですよ。80年の頃は英語も何もわからないからすごく縮こまってたけど、今回は本当に和気あいあいでね。ハービーの家まで遊びに行ったりしましたよ。 美芽. 前にハービーと会ったときより、ご自分がずいぶん音楽家として成長なさったのを実感なさったというお話を聞きましたが、具体的に伺いたいのですが。 向谷. NOと言える日本人になったっていうことですね。昔は外国のレコーディングではYES、YESしか言ってなかったんですよ。「こうしろ」って言うこときかないとハービーが叩かないんだもん。悪意を持って言ってるんじゃないんですよ、こうしたほうがいいと思って言ってる。だけど、「僕は違う。僕はこうだ。」そういう部分が出てきたってことですね。昔だったら「ここはこうしたほうが」っていわれたら、「それはハービー様のおっしゃるとおり」って感じのところを、「そうじゃなくて、こう」と言えるようになりました。ハービーは今回何度も録り直してくれてますし。 美芽. そういう意味で、対等になれたということでしょうか。 向谷. 殿様になっちゃった(笑)。「こちらはクライアントだぞ」みたいな(笑)。同じミュージシャンどうしとしてできた上に、こっちのやってほしいことを言えたってことですね。もう怖いものはなくなりました。 美芽. もう誰が来ても大丈夫ですか。 向谷. ああ、もう全然大丈夫です。 いまメンバーチェンジをふりかえる 美芽. プロ生活の中で、一番ショックというか、大きかったことは何ですか。 向谷. やっぱりメンバーチェンジでしょう。1989年だったかな。忘れましたけど。 美芽. それは、今の自分にどう影響していますか。 向谷. うーん・・・、特に影響はしてないですね。 美芽. 乗り越えた、という感じですか。 向谷. うーん、音楽的には僕は野呂君を一番尊敬してるけど、人生的な考え方というのは僕と野呂君はまったく水と油なんです。両極端ですね。だけど音楽的には尊敬してるし、リーダーとしては野呂君は最適です。あの分裂のとき、誰が見ても僕と野呂君は分かれるのだったら「しょうがないな、あいつら考え方違うから」と思うのに、一番両極端だった僕と野呂君が残って仲が良かった神保君と櫻井君がいなくなっちゃったのが衝撃だったんですよ。「ありゃー」みたいな感じで。あれは僕には意外でしたね。すごくそれ以降野呂君とは仲良くなりました。野呂君は純粋で一途なんですよ。すごく自分に対して、自分たちのバンドの演奏に対して厳しい。批評家と演奏家の両面を持っている非常に希な存在です。自らや自らに関連するものに対してシビアに批評を下す。精神的にも非常に強い人です。純粋で真面目でしょ。T-スクェアの安藤さんも近いところあるんじゃないかな。ギタリストというのはそういう性格があるのかもしれないですね。 |