トニーニョ・オルタインタビュー'98


昨年に引き続き今年もオルタはやって来ました.サバス東京で一緒に来日した妹のレナも同席して頂き、2時間近くに渡りました.彼のアルバムリリース計画やレコーディング計画等、ホットなお話しを伺うことができ、ファンには堪らない情報満載のインタビューとなりました.ではお楽しみ下さい。(1/24/1998)

トニーニョ メッセージ
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アスワン
今日はお忙しいところ、インタビューにお越し下さってありがとうございます。
T.H
まだ日本に着いて間もないので疲れてはいるけれど、いつも日本の人達が僕の音楽に興味を持ってくれて熱心に応援してくれるのでこのような形でお話しできることをとても嬉しく思っているよ。
アスワン
事前にインターネットでこのインタビューについて告知したのですが、多くの日本のファンが心待ちにしています。
T.H(Toninho Horta)
どうもありがとう。
アスワン
今回のツアーの予定とメンバーについて紹介して下さい。
T.H
今回のツアーは東京と神戸で、神戸は1/26の一回のみなんだ。メンバーはまず、Lena Horta。彼女は僕の妹なんだけど、妹である前にすばらしいフルート奏者なんだ。そして彼女とは1stアルバム『Terra dos Passaros』(1976)以来、約20年程共演している。日本からは2人のパーカッショニスト、まず一人目はヤヒロ・トモヒロ。彼とは瀬木貴将や吉田和雄との仕事で既に何回か共演している。二人目は岡部洋一で1/29,31の二日間共演するんだ。それからハーモニカの松本敏明。彼は僕と初めて会った時にはまだ僕の曲はあまり吹けなかったけれど、すでに素晴らしい音楽性を身につけていて、僕やブラジル音楽の大ファンだったんだ。ヤヒロ・トモヒロといえば、僕は3月に瀬木貴将のバンドで再来日する。東京が2回、富山、大阪の計4回で、瀬木やヤヒロ、ウーゴ・ファトルーソと4人でツアーを行うんだ。
アスワン
去年(1997年)の4月はキーボードのAndre Dequechとの共演でしたが、Lenaさん(フルート)との共演は多いのですか?去年は『Durango Kid』のアルバムの雰囲気、今回はフォルクローレ等を取り入れて、サウンドがだいぶ違ってます。
T.H
Andre(キーボード)との共演ではハーモニーやソロに重点を置いたけれど、フルートが入ることによってメロディに重点が置かれる。例えば、最近作った曲「Lembrando o Hermeto」のように複雑なメロディのものから、「Folia do Divino」や「Peixinhos do Mar」の様にシンプルなフォルクローレまで、フルートはとてもきれいに演奏でき、アコースティックなサウンドを作り出すことができるんだ。Lenaの音楽性はそれを実現できる素晴らしさを持っている。でもAndreもLenaも僕とは20年近く同じバンド"Orquestra Fantasma"で共演している。
アスワン
日本のファンは今回のショウをとても喜んでいます。
T.H
まだチョット疲れているけれど...Lenaは今回初来日だし、僕の妹を連れてきたから皆注目しているのでプレッシャーで少し神経質になっているんだ。今日のショウからはショウの最初に楽屋から「Folia do Divino」を演奏しながら出てこようかなと思っているんだ。というのはミナスでは宗教的なお祭りが沢山あって、バンドが演奏をし観客が一緒に拍手するというのはとても自然なことなんだ。そうすればお客さんもリラックスできるし、僕達にとってもその方が嬉しいんだ。そして今日はびっくりしたんだけど、予約が全て埋まっていて、これ以上一人も受け付けられないんだ。
アスワン
Yuri Popoffの『Catope』というアルバムのジャケットには独自の衣装をつけた人が描かれていますが、あの衣装をつけてお祭りをするんですか? (注:YuriはLenaのだんなさんです)
T.H
そうなんだ。いろんなタイプの衣装があるんだけど、あのようにカラフルな衣装をつけて帽子をかぶって、楽器は弦楽器〜様々なタイプのギター、ヴィオラ(ギターより少し小さい。10弦の楽器でダブルの弦が5本)、タンボーリス、シキシキ、アゴゴといったパーカッションを演奏するんだ。
MARIKO
昨日演奏したフォルクローレの2曲(「Folia do Divino」、「Peixinhos do Mar」)はとても印象に残っていて、シンプルだけどきれいなメロディが繰り返されるので、私も一緒に歌いたいと思っていました。今日が楽しみです。
T.H&L.H(Lena Horta)
どうもありがとう。(*^^*)
アスワン
昨年はあなたのライブ、そしてローとの共演と、ファンにとっては嬉しい一年でした。今年早々に来日して頂いてファンには夢の様です。昨年のローとの共演は何年振りですか??あなたの『Toninho Horta』のアルバムでの「Manoel,O Audaz」の再現が聴けて狂気乱舞しましたが。
T.H
ローは『Clube da Esquina』時代の仲間だ。97年9月にサン・パウロ州BauruでBeto Guedes、Lo Borges、Flavio Venturini、僕の4人のミナスのミュージシャンが集まってショウを行ったんだ。このショウは毎年行われていて、以前10年間ぐらいはAvareという所で行われていたんだけれど、去年は場所がBauruに変わった。この時はCarlinhos Brownが見に来ていて僕達が彼のために1曲演奏したら彼が舞台に昇って「君達に捧げる」と言って、"Travessia"を歌ってくれて、僕達も彼と一緒に歌って演奏したんだ。このショウが行われるまでにLoとは89年から共演していなかったから もうだいぶ経つね。
アスワン
フラビオとの共演のライブが出ましたが、ミナスサウンドのミュージシャンとの共演はブラジルではよくやるんでしょうか??
T.H
いや、普段は一緒に演奏しない。一番最近共演したのは、今言ったBauruでのショウだ。それ以外には10年前にブラジルで"Minas em Concerto"というシリーズがあった。今回の来日の一日前にサン・パウロでFlavio Venturiniのバンドとの共演があった。これは最近出たFlavioとのライブアルバム発売記念ライブだ。
ささ
ではミナスのミュージシャンとの共演はあまりないんですね。
T.H
ない。何故なら80年代後半にポリグラムと契約した時、アメリカに拠点を移して、その後世界を旅するようになったからだ。
ささ
これからミナスのミュージシャンと多く共演したいと思いますか??
T.H
いえ。僕には自分の仕事がある。ブラジルそして世界に。勿論、彼らと共演する機会があれば一緒に演奏するけれど僕はまず自分の音楽、自分のバンド(Orquestra Fantasma)のことを考えなくてはならない。そして今年の後半にはOrquestra Fantasmaのアルバム(スタジオ録音)を録音する予定だ。このアルバムには僕は勿論Yuri PopoffやAndre Dequechの曲も入れる予定だ。(Orquestra Fantasma:Toninho Horta、Lena Horta、Yuri Popoff、Andre Dequech、Nenem)レパートリーはフォルクローレからコンテンポラリー音楽になるだろう。
アスワン
Yuri Popoffの音楽も非常に素晴らしいので楽しみです。『Catope』のアルバムは大好きです。
L.H
ありがとう。(*^^*)
アスワン
自分のレーベルを作るそうですが、具体的なプランはどうなってますか??
1.レーベル名
2.レーベルからどんな作品を出したいか??
3.あなたのソロはこのレーベルから出さないのか??
4.アナログ盤で廃盤になったあなたの作品を出して欲しいが??
5.レーベルが動き出す時期
6.レコード会社はどこなのか??
7.今後、プロデュースしたいミュージシャン
8.あなたのソロの中で『Toninho Horta』が入手困難です。是非ともリリース計画に入れて欲しいんですが??
9.ミナス系ミュージシャンはよく決まった作詞家とコンビを組んでいるので、詞の特徴も分かれば一層楽しめます。又、あなたの音楽を理解するのに大きな手助けになると思います。ポルトガル語の分からないファンのために、今後あなたのレーベルからリリースされる、旧作.新作にはせめて英訳がついていれば非常に嬉しいんですが....??
T.H
レーベル名は"Aqui-Oh Records"だ。このレーベルには3つの目的がある。一つ目は僕のディスコグラフィの中でブラジル以外で録音されたものをレコード会社からライセンスを買い戻して再発したいんだ。二つ目はこのレーベルを通じてミナス・ジェライスの音楽を紹介したいんだ。ミナスにはCatope、Folia de Reisといった宗教的なお祭りが沢山あるので、これらを録音して世界にミナスを紹介したい。ちなみにレーベルのロゴマークはミナスでよく見られる教会のデザインを採用するんだ。三つ目は僕が今までに共演したミュージシャン〜例えばアメリカで録音したRudi Berger(オーストリア出身のヴァイオリニスト、『Moonstone』のアルバムに参加)、Jack Lee、フルート奏者のNorma Latucheaなど、許可が得られればブラジルで彼らのアルバムをプロデュース、リリースしたい。何故ならブラジルには世界のコンテンポラリー音楽をリリースする会社がないからなんだ。
アスワン
是非とも成功をお祈りします。
T.H
ありがとう。(*^^*)レーベルの最初の計画としては98年3月に『Serenade』をリリースするんだ。レコード会社はブラジル国内を統括している"Discoteca 2001"というディストリビュータだ。自分のソロのリリースについては『Beto Guedes, Danilo Caymmi, Novelli e Toninho Horta』、『Live in Moscow』等いずれのアルバムも予定に入っている。勿論ライセンスの買い戻し等に時間がかかることが考えられるけれど。
アスワン
僕はいろんな人から『Toninho Horta』や『Live in Moscow』はどこに(どの店に)置いてあるのかといつも聞かれるので助かります。
T.H
是非、トライしてみるよ。(英詞を付ける件について)ポルトガル語を理解するには、とても良いアイディアだね。
MARIKO
ポルトガル語の歌詞も付けて下さいネ。
T.H
そうするよ。
アスワン
去年、ロー・ボルジスのライブにToninhoさんが飛び入りした時は'♪ Manoel,O Audaz' のワンフレーズしか歌えなかったんですが、今はフルコーラス歌えます。
T.H
そう、嬉しいなぁ.....(*^^*)
アスワン
日本では矢野顕子との共演によって、ブラジル音楽を知らない人達にもあなたの知名度が一気に上がり、あなたのファンが増えて、更にブラジル音楽を聴く人が増えました。この様な現象を知ってましたか??どう思いますか??
T.H
矢野顕子との共演で知られる様になったとは知らなかった。彼女は素晴らしいミュージシャンだ。彼女のショウ(93年秋)では彼女が僕の曲を2曲歌ってくれたんだ。「Diana」と「Manoel,O Audaz」なんだけど。「Manoel,O Audaz」では日本語で歌ってくれてとても嬉しかった。この様な形で日本で日本人アーティストと共演して知られるようになるというのは良いことだ思う。
アスワン
(インタビュアーの)MARIKOさんも矢野顕子のショウであなたを知ってブラジル音楽のファンになったんです。
T.H
ありがとう(*^^*)
アスワン
ブラジル音楽を広めるためにも日本の全く違うジャンルのミュージシャンと共演するのも良い方法かも知れませんネ。
T.H
それでブラジル音楽のファンが増えるわけだね。僕はすでに矢野顕子の他にTHE BOOMの宮沢和史、伊東たけし、小野リサ、吉田和雄、小畑和彦、瀬木貴将、中西俊博、ヤヒロ・トモヒロ、松本敏明ら多くの日本人アーティストと共演しているのでいつか日本人の人達だけでアルバムを録音したいと思っているんだ。日本はいいミュージシャンが沢山揃っているネ。
アスワン
『From Tom To Tom』のリリースを我々は待ちに待ってます。リリース計画はいつでしょう??
T.H
できれば今年の6月〜7月にリリースしたいと思っているけれどまだレコード会社を探しているところなんだ。ブラジルでは自分のレーベルから出したいと思っている。
ささ
すでに何曲を録音したんですか??
T.H
5曲だ。14曲中7曲はTom Jobim、7曲は僕の曲だ。Lena、Andre、小野リサ(2曲)、William Galison、Bob Mintzer等が参加する予定だ。録音はブラジルとアメリカが半々で70%はヴォーカルつきの曲で、それ以外はインストゥルメンタルだ。
MARIKO
ミナスサウンドについてお伺いします。あなたやナシメントそしてローを代表とするミナス・サウンドはサンバなどと違って独特のサウンドですよね??ミナスサウンドとはどういうものか紹介して頂けないでしょうか??私の理解では所謂ミナス・サウンドというのは2つの意味があると思っています。1つは70年代のミナスでのムーブメント....『街角クラブ』に象徴される様に、当時流行していたビートルズ等欧米の音楽と、ミナスに伝統的に根づいている音楽との発展的融合....を指していると思います。2つ目は『街角クラブ』での活動経験の有無に係わらず、ミナス出身のミュージシャンが過去ではなく現在において表現しているサウンドが醸しだしている、独特のイメージを誘う何かしらの共通点を指す場合です。私にはまだこの共通点を上手く表現する力がありません。あなたはこの二つの考え方をどう思われますか??また、現在のミナス・サウンドに共通点があるとすれば何でしょうか?? (注:『街角クラブ』は『Clube da Esquina』の邦題です)
L.H
『Clube da Esquina』はミナスの作曲家に大きな影響を与えたけれど、それぞれの作曲家がそれぞれの音楽的背景を持っているの。『Clube da Esquina』の音楽だけでなくミナスの様々な地域のフォルクローレの影響を受けている人もいるわ。例えばYuri PopoffはミナスのMontes Clarosの出身だけれど、『Clube da Esquina』、クラシック音楽、フォルクローレ等の影響を受けているの。一方で同じMontes Claros出身のBeto Guedesはビートルズの影響が大きいの。
T.H
Lenaのコメントに一言付けると、『Clube da Esquina』後のミュージシャンというとYuri Popoff、Andre Dequech、Juarez Moreira、Sergio Santos、Nivaldo Ornelas、Wagner Tisoなどがいて、彼等の音楽はフォルクローレ、クラシック、ブラジル、ジャズ等多くの影響を受けていて、これがミナス音楽をとても豊かにしているんだ。
MARIKO
例えば、バイーア地方はアフリカ系の人々が多いことから、そこで生まれる音楽もリズムが強調されている等の特徴があるのがよく分かります。ミナスに伝統的に根づいている音楽、そのルーツ、特徴を説明して頂けますか。
T.H
バイーアの音楽についてはその通りだ。ミナスでは100年前まで州都がOuro Pretoだったんだ(現在はBelo Horizonte)。そしてOuro Pretoにはゴールド・ラッシュ(18世紀)によってポルトガルやスペインからの移民が多く流れ込んで来た。これは音楽にも大きな影響を与えて、ギターやヴィオラを使った音楽とか19世紀初めの歌謡曲やワルツにはヨーロッパの影響が大きいんだ。ヴィオラの形はミナスの各地域によって微妙に違うんだ。これはさっきも言ったけれど、それぞれのミュージシャンが自分のスタイルを持っているし、宗教的な音楽の影響もあるんだ。
MARIKO
「Peixinhos do Mar」は、いつ・誰が作曲したんですか??
T.H
あの曲はフォルクローレでTavinho Mouraが採譜したんだ。ショウで演奏したのは僕のアレンジだけど。Tavinho Mouraはミナス中を旅してフォルクローレの音楽を研究したのでとても造詣が深いんだ。「Peixinhos do Mar」は200年位前にできた曲だと思うけどフォルクローレの多くは"dominio publico"といって作者不明なんだ。こういう曲は代々歌い継がれている。
アスワン
私は世界のポピュラー音楽で、A.C.ジョビン、P.マッカートニー、S.ワンダー、I.リンス、そしてガーシュインやコール・ポーターと肩を並べる作曲家としてベスト10の中に位置する存在だと思ってます。日本のプロのミュージシャンもあなたの曲を愛している人は多く、日本だけでなく世界のプロミュージシャン、そしてあなたのファンがあなたの曲を愛しています。あなたの曲はオリジナリティがあり個性的です。世界中を旅しているあなたですが、曲作り、アレンジのインスピレイションや工夫をいつ・どこで・どの様に得るのでしょう?? あなたの創造の秘密を内緒で(^^;)教えて下さい。どうしてあんなに、人の心を揺さぶる曲が出来るんですか??
T.H
よく分からないけれど多分....僕は小さい時から音楽を聴いては泣いていたから、そんなところから人の心を揺さぶる音楽を作っているんじゃないかなぁ......。母親の話によると3歳の頃から音楽を聴き始めて、8〜9歳の頃は音楽を聴きながらベッドの下の隙間に隠れてよく泣いていたって言うんだ。主にクラシック音楽なんだけど、チャイコフスキー、ブラームス、ベートーベン、モーツァルト.....みんなとても感情に訴える音楽だ。だから僕の音楽にはそれらがとても大きな影響を与えていてロマンチックな音楽になるんだと思う。またオーケストラ・サウンドも多く取り入れている。
ささ
ギターを弾き始めたのはいつですか??
T.H
10歳だ。作曲は13歳から始めた。作曲を始めた頃は理論なんて知らなかったから、僕の場合はとても自然にそして自分独自の作曲方法を身につけたんだ。16歳から1年間、学校で理論を勉強して17歳の3ケ月と22〜23歳の頃にはピアノのレッスンを受けたけれど、それ以外は特に正式なレッスンは受けていない。
ささ
理論の勉強は好きではなかったんですか??
T.H
好きじゃない。ぼくの音楽はとてもクリエイティヴだし、もし理論に重点を置いていたらきっと全く違う作曲家になっていたと思うヨ。
ささ
あなたにギターを教えたのはお母さんですよね。
T.H
10歳の頃から母親と兄のPauloに習った。
アスワン
曲を作る時は集中して作るんですか??突然浮かんで来るものですか??
T.H
2つの方法がある。曲を作りたいと思った時は、ギターを持って静かな所でキィを探して作曲する。主に家で作曲することが多いけれど旅をしている時は、ストレスが溜まりやすいのであまり作曲できない。でも旅行中であっても落ち着いた時間が持てれば作曲出来る。もう1つの例としては、アメリカのフルート奏者で作曲家のNorma Latucheaという人がいるんだけど、彼女のアルバムのプロデユースを手伝うことになったんだ。彼女は僕の曲の他にHermeto Pascoalの曲を録音したいと言ったんだ。彼女はNYに住んでいるんだけど、僕はその曲をまだ用意していなかった。今回来日する際にNY経由で来たんだけど、Belo Horizonteを出発する30分前に「Lembrando o Hermeto」を作曲して、そのあと荷物を準備して家族にはNYのNormaに楽譜をFAXで送るように頼んで出てきたんだ。NormaにはHermetoの曲を持っていけなかったので、Hermetoを思い出しながら「Hermetoだったらこんな曲を作るかな」と思って「Lembrando o He! rmeto」を作ったんだ。Normaはこの曲をとても気に入ってくれた。ミュージシャンの中には作曲に時間をかける人もいるけれど、僕の場合は30分〜1時間位で作曲してしまう。「Lembrando o Hermeto」の場合はNormaと約束があったので楽譜に書いたけど、普段は頭の中で作曲するんだ。
MARIKO
あなたの作品では、あなた自身の曲がアレンジを変えて度々演奏されます。そのことから私はあなたがあなた自身の曲を心から愛しているのを感じます。同時に、何より素晴らしいのはそれらの曲があなたと私達ファンにとって、普遍的な価値を持ったスタンダード(名曲)となっていることです。あなたにとってスタンダード(名曲)というものの基準はどこにありますか??
T.H
僕の音楽はまだ完璧とはいえない。それは録音時のミキシングや音の状態等で必ずしも満足がいかないこともあるという意味だ。スタンダードという意味では僕はそれぞれの人の判断に任せたい。人それぞれに音楽のとらえ方は違うからね。
MARIKO
あなたはよく他人の曲をカヴァーしています。カヴァーに取りあげたいという動機は何によるものですか??
T.H
例えば「Moon River」は小さい時から印象に残っていた曲だ。これはとても自然な形で「録音してみよう」ということになった。「Across the Universe」はBig WorldのプロデューサーNeil Weissの希望で録音した。ビートルズといえば『Come Together』というコラボレーション・アルバムでギタリストによるビートルズの曲を集めたものがあるけど、その中で僕が弾いた「She's Leaving Home」は僕の選曲だ。「Saudades da Bahia」は『Durango Kid2』を録音していた時突然録音したいと思ったんだ。これは僕の曲ではないけれどOKが出たのでアルバムに入れたんだ。僕は他人の曲をカヴァーする時は、いつも自分なりにアレンジして、時にはメロディを変えてあたかも自分の曲の様に編曲するのが好きなんだ。例えば「Stella by Starlight」「Moon River」「Saudades da Bahia」「No Carnaval」などがそうだ。僕の編曲で有名になった曲としては1974年のMilton Nascimentoとのライブ・アルバムで『Milagr! e dos Peixes ao Vivo』というのがあるんだけど、その中のCarlos Lyra作曲の「Sabe Voce」がある。この曲はこのライブのためにWagner Tisoがベーシックな編曲をしたんだけど、本番で僕はハーモニーを全面に変えて演奏したんだ。僕はこの編曲がとても好きでWagnerも気に入ってくれたんだ。
アスワン
『Serenade』のアルバムに入っている韓国の「Arirang」もまるであなたの曲のようですネ。
T.H
ミュージシャンが既存の曲にハーモニーを付けることはよくあることだけれど、あの曲はJack Leeが僕の音楽に近い形でアレンジをしたんだ。他の例でいえば、Gil GoldsteinとRomero Lubamboのアルバム『Infinite Love』の中に「My Foolish Heart」という曲があるけど、あの曲もGil GoldsteinがToninho Horta風に編曲したものなんだ。
ささ
「Arirang」はJack Leeが編曲したとのことですが、その後あなたは更に少し変えて演奏したんですか。
T.H
いや、変えていない。Jackが編曲したけれど、彼は僕の音楽の影響を受けているからまるで僕の音楽の様に聞こえるんじゃないかなぁ。
MARIKO
ほかの人の曲でもToninhoサウンドになるので、あなたの音楽として聴いてます。『Durango Kid』『Durango Kid 2』は、あなたの力強さと繊細さが合わさった、あなたの魅力が凝縮された素晴らしい作品だと思います。将来『Durango Kid 3』の計画はありますか??ところで"Durango"とは何でしょう??
T.H
「Durango Kid」というのは実在したアメリカのカウボーイの名前なんだ。彼は人々の問題を解決したり伝言を伝えたりした伝説上の人物で、作詞家のFernando Brantのアイディアだ。これは余談だけど、ポルトガル語で"duro"という言葉があって英語では"hard"の意味なんだけど、ブラジルでは"Estou duro."(I'm hardの様な表現)というと「僕はお金がない」ということなんだ。これをもじって"Estou durango."という俗語がある。よく使われる言葉だけど、"Durango Kid"とは関係ないヨ。現在、『Durango Kid 3 』『4』を今年の半ば位までに録音する予定だ。『Durango Kid 1 』と『2』は同時に録音したけれど今回も二つ同時に録音することになると思う。
ささ
レパートリーはどうなりますか??
T.H
殆どが僕の曲で「Beijo Partido」や「Manuel,O Audaz」等まだ『Durango Kid』シリーズで録音していないもの。それから未録音の「Quadros Modernos」やKeith Jarrettに捧げた「Profunda Emocao」(Deep Emotion)など。
ささ
Keith Jarrettとは面識があるんですか??
T.H
ない。
ささ
その曲は歌詞が付いているんですか??。
T.H
いや、インストゥルメンタルだ。Keithは僕のアイドルなんだ。Henry Mancini、Gershwin、Tom Jobimもアイドルだ。
MARIKO
世界中のファンにとってはビッグニュースですね。
T.H
僕から君達への質問があるんだけど.....。日本人のファンは『Durango Kid』のプロジェクトがとても好きみたいだけれど、『Durango Kid』と『Serenade』(ライブ盤)ではどちらがより僕らしいと思う??
アスワン
基本的にスタジオ録音かライブ録音かの違いだけで、あなたのオリジナリティやあなた自身の世界が感じられるので、どちらも好きです。
T.H
どうしてこんなことを聞いたかというと、ライブではよくハイになってしまうので、『Serenade』ではそんな面が出てしまったんじゃないかなと心配してるんだけど.........。
(インタビュア一同)そんなことないですよ。(と、一同顔を見合わせる)
アスワン
ライブは誰でもエキサイトするものだし、ライブはライブの聴き方、スタジオ盤はスタジオ盤の聴き方がありますヨ。
MARIKO
ライブの前に『Durango Kid』で予習して、帰ってから『Serenade』で楽しめるのでどちらがイイ(トニーニョらしい)とは決められないです。
ささ
だから心配する必要はないですヨ。
T.H
ありがとう(笑)(*^^*)
アスワン
「Manuel,O Audaz」を一緒に歌いたいというファンのためにこの曲の歌詞と日本語読みを掲載しました。一緒に歌いましょう。
T.H
それはいいねぇ。でも日本の人は恥ずかしがり屋だからもっと大きな声を出して歌ってネ!
アスワン
今年のあなたのスケジュール/計画を教えて下さい。確定している分だけで結構ですので。
T.H
まず『De Tom Pra Tom』(『From Tom To Tom』)、それから『Durango Kid 3 』『4』を録音したい。それから今年の終わりにOrquestra FantasmaとLena Hortaのソロアルバムをプロデュースしたい。Lenaのソロはインストゥルメンタルで例えばギターとのデュオとかYuriの音楽とか....まだレパートリーは決まっていないんだ。僕も参加したいと思っている。タイトルは『Lendas Brasileiras』と決まっている。
ささ
誰の曲を演奏するんですか??
L.H
Toninho、Yuri、Dave Brubeck、Guinga、Juarez Moreira
ささ
"Aqui-Oh Records"からリリースするんですか??
T.H
そうしたいと思っている。
アスワン
今回、地域的に来られない人、スケジュール的に来られなかったあなたのファンが沢山いると思います。あなたのファンのために....そして今回来られなかった多くのファンにたいしてメッセージをお願いします。
L.H
私はまだ自分のソロアルバムを出していないけれど、ToninhoやYuri、その他のブラジルのミュージシャンのアルバムを通じて私の演奏を聴いた人もいると思うの。私はリオで他のミュージシャンと一緒に録音することが多いけれど、近いうちに私のレコードを出す予定なので、私の演奏をもっと表現出来ると思うわ。そして又いつか日本に来られるといいわネ。
T.H
日本のファンの人達に僕の音楽をもっと知って欲しい。これは僕の希望なんだけれど、近いうちに"Orquestra Fantasma"のバンドで来日したいと思っている。日本の北から南までツアーをしてみたい。それからいつかWorkshopを開いてみたい。そうすればファンの人とも直接ふれあえるからネ。ここ日本で僕のファンが増えつつあるのはとても嬉しいし、とても暖かく迎えてくれるので機会があればまた来たいと思っているヨ。
アスワン
インタビューありがとうございました。最後にお願いがあります。今年のワールドカップでもし、日本とブラジルが対戦した場合、どうか日本に勝たせて下さい。
Toninho & Lena
わっはっは..........(大爆笑)
インタビュア一同
どうもありがとうございました。


トニーニョの97年版インタビューはこちら
Interviewed by Wahei Onuki(アスワン), Miki Sasahara(ささ)and Mariko Aimoto(MARIKO)
Photography by Wahei Onuki except for Catope festival photo provided by Miki Sasahara
Translated by Miki Sasahara(ささ)
Cooperated by Sabbath Tokyo
Copyright 1998 by CyberFusion
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