Toninho Horta Interview

トニーニョ・オルタは現代ブラジルを代表する作曲家、ヴォーカリスト、ギタリストで多くのフュージョン・ミュージシャンに少なからぬ影響を与えています。トニーニョは97年4月にサバス東京でライブをしたおりにCyberFusionのインタビューに快く答えてくれました。

AS.(アスワン)
以前にJoyceと矢野顕子のライヴで来日された時にショウを見ましたが、彼女の事は憶えてらっしゃいますか?
TH.(Toninho Horta)
もちろん。彼女と最初に会ったのはニューヨークのスタジオだったんだけど、その時からすでに強い印象が残っているよ。2年半位前になるかな?僕は彼女のツアーに参加して日本中を廻ったんだけどそれは素晴らしい経験だったよ。特に今でも思い出すのは厚生年金会館でのコンサートのことだけど、すごくたくさんのお客さんが来てくれていて僕もすごく調子がノっていて、お客さんも僕を認めてくれたことで『僕はスペシャルゲストなんだ!』という感慨を特に感じたのを憶えているよ。アストラド・ジルベルトと来日したのをを含めてそれ以前に日本に来ているんだけれど、矢野顕子と日本に来た時には東京ではかなり多くの人がトニーニョオルタのことをすでに知っていてくれていたんだ。これは僕にとってはすごく驚きだった。彼女は『Diana』という僕の曲に日本語の歌詞をつけて収録(ビデオ)してくれたんだけどこれは本当に素晴らしいひとときだった。あれは彼女との特別な瞬間だった。
AS.
日本のファンは待ち望んでいたあなたの来日をとても喜んでいますよ。
TH.
ありがとう!
AS.
質問に戻りますが、これは何度目の来日になりますか?
TH.
10回目になるね。最初は1990年の大阪花博の時だった。その時は僕はニューヨークのSteve Sacksというサックスプレーヤー、ブラジルのギタリストTiberio Nascimento、そして同じくブラジルの有名なパーカッショニストのCyro BaptistaのTrilogiaというトリオのゲストとして来ていたんだ。このトリオはフュージョン、ブラジリアンジャズ、といったかんじかな。1990年には六本木ピットインでもプレイしたよ。
AS.
海外から日本に来るミュージシャンはたいてい残念なことに観光とか買い物とかにあてる時間がなさそうでただ単にステージとホテルの往復に終始してしまうことが多いように見受けられますが、日本の滞在をお楽しみいただけたことはありますか?
TH.
はい。浅草のあの大きなお寺なんかはよく憶えています。それと僕たち何個所か公園には繰り出すんだけどどうも名前はよく憶えてないなぁ。あ、もちろん皇居にも行ったよ。確かにそれは困ったことで、ツアーで日本に来ると日本中を回るんだけどその各地の観光にあてる時間はないんだ。唯一例外は新幹線、すごく速いよ (笑)。富士山は見れるけど行けない場所なんだ。今回はナイスなことに滞在が長くなったんだ。小野リサのプロジェクトがあってね、僕が彼女のプロジェクトのプロデュースをするんだ。このインタビューで初めて話すことだよ。これはニュースだよ。今回はここのステージが終わってももうちょっと時間があるので日本のあちこちを見ることができるかも知れない。僕はショーやコンサートが終わった後に友人達と日本のレストランに行ったり、サウナとかマッサージに行ったりするのが大好きなんだ。今夜は新宿か渋谷あたりに繰り出して飲もうと思っているんだ。日中はそういったことで楽しむ時間がないので僕らはもっぱら夜に遊んでるね。
AS.
すみません、ちょっと聞き逃してしまったんですが、どなたのプロデュースをなさるんですか?
TH.
小野リサだよ。僕は彼女のプロジェクトではパートナー兼メインプロデューサーとなる予定だよ。(注:実際のmain producerは村田陽一、トニーニョはco-producerです。)それから僕にはもう一つプロジェクトがあって、『from Tom to Tom』という僕のアルバムのためのレーベルをどうしようかというのがあってね。この『from Tom to Tom』というのは『Toninho HortaからAntonio Carlos Jobimへ』という意味で何曲かをJobimの曲、残りを僕の曲という構成で収録するつもりなんだ。ボサノヴァのスタイルを基本にしてストリングスとかブラジルのミュージシャンとかアメリカのミュージシャン達によるオーケストレーションを加えたものにするつもりなんだ。
AS.
私は浅草の近くに住んでおりますんで、お近くにお越しの際には是非一声おかけください(笑)特に今回のツアーでは日本を楽しんでらっしゃいますか?
TH.
先週は岡山のホールでコンサート、神戸でショーをやったなぁ。でもほとんどのステージは東京で、今週は最終週だよ。 (訳者注:質問が通じていなかったようだ (^^;)
AS.
今回のツアーに同行しているメンバーを紹介していただけますか?
TH.
今回は僕のホームタウンから非常に有名なミュージシャンを連れてきたんだ。Andre Dequechというキーボードプレイヤーだ。今回はスケジュールの都合で他のメンバーを連れてこられなかったけど次回はベース、ドラム、フルート、パーカッション、そしてキーボードという編成のバンドをブラジルから呼んでくるよ。 (注:実際はフルートだけです)
AS.
キーボード1人だけを従えてというスタイルはあなたのツアーではよくある編成なんですか?
TH.
前回もそうだったね。ちょうど1ヶ月半前僕らは2つコンサートをこなして来たんだ。で、ここが終わったら彼はヨーロッパのイタリアとスペインを回って来る予定で僕はアルバムの仕上げのためにニューヨークに戻ることになってるんだ。小野リサのプロジェクトもそこでやることになってるんだ。
AS.
是非ともその新しいプロジェクトを期待していますよ。
TH.
ありがとう!
AS.
次の質問に移りますが、あなたはしばしばスタンダードジャズタイプの曲もプレイしますし、また一方ギターとヴォーカルの『Durango Kid』のようなスタイルの演奏もします。そしてまた『Diamond Land』や『Moon Stone』のようなインストゥルメンタルのフュージョンも演奏しています。どれも非常にクリエイティブでもちろん素晴らしいものなんですが、基本的な疑問というか質問が浮かんできます。どれが本当のあなたですか? 言い換えますとどのスタイルが一番しっくり来ますか?
TH.
えーっと、僕はやっぱりブラジリアンのスタイルが一番しっくりくるね、ボサノバとかブラジリアンフュージョンとか。エレクトリックかアコースティックかっていうのはあまり問題にしなくってブラジリアンのスタイルであればそれが僕には一番フィットするね。僕はジャズもやるしジャズは好きだよ。やっぱり子供の頃から何年も何年もジャズを聴いて育ってきたんだからね。僕は7年前からニューヨークに住んでいるんだけど狭い意味でのジャズだけをやりたいわけではないんだ。僕はジャズもプレイできるけど、それはビ・バップみたいなのではなくてブラジルのフィーリングのものだね。もちろんジャズを演奏するのは好きだよ。僕の今までのアルバムがそれぞれに非常に違いがあるというのは、僕が今までの人生聴いてきたすごく色々な種類の音楽、例えばクラシック、ブラジルのフォーク、ジャズ、ボサノヴァ、フュージョン、色々聴いてきたんだけどそれぞれを少しずつ取り入れ、アルバムの中にそれらのあらゆるエッセンスを詰め込もうという思いがあったからかもしれない。これから先、僕のアルバムが日本のポリドールから発売された後にも、いろんな構想があってすごくいろいろなフィーリングやリズムにでみようという構想もあるんだ。いろんなスタイルの見本みたいにしてね。だけど僕の新プロジェクトアルバム『From Tom to Tom』についてはボサノヴァのスタイルを追求するつもりなんだ。今でもアコースティックギターに関して学び続けているんだけど、15から18くらいの時にボサノヴァのスタイルから吸収したものが一番多いんだ。ボサノヴァというのは本当に僕の最大の情報源で、例えばちょっと変わった感じのサンバのスタイルとか、Joao GilbertoやTom Jobimのソフトな唄いまわし、ハーモニー、コードプログレッションやコードの動き、そういったものに関してね。僕が住むミナス・ジェライスは山々に囲まれていて人々はとても親しみやすいんだ。僕は洗練されつづける方向に変化し続けるボサノヴァのハーモニーを取り入れてきたけれど、僕はさらに僕自身の手でもうひと工夫加えて新しい響きというのを試みてきてもいるんだ。 やっぱりボサノヴァをプレイしてる時が一番気分いいね。もちろんもっとブラジリアンもやりたいしアコースティックももっとやらなきゃだけどね。そしてジャズやフュージョンをやるときはエレクトリックでいきたいね。
AS.
我々は非常にあなたをオリジナリティあふれるアーチスト、新しいサウンドのクリエイターだと思っております。
TH.
ありがとう!みんなが言うにはそれは僕のハーモニー、インヴェンション、コンセプション、アレンジメント、そしてもちろん作曲によるところが多いって言ってくれているね。僕はどこかの誰かがすでに書いたみたいな曲はつくりたくないんだ。常に前人が作ったものとは違うものを作り出そうといつも心がけているんだ。
AS.
お話の中に出てきた『from Tom to Tom』の参加メンバーを教えてください。
TH.
Andre Dequechはアコースティックピアノとシンセサイザーで参加してくれるんだ。ベースはYuri Popoffで、かれはブラジルの自分のバンドではコンポーザーでもあるんだ。ドラムはEsdra Ferreiraで『ネネン』っていう愛称で呼ばれている。彼はすごく有名で、ブラジルではかなりの大御所たちとも演奏しているんだ。それと僕の妹のレナがフルートで参加するんだ。それからパットメセニーグループで活躍したパーカッションのArmando Marcalも参加することになっているんだ。以上がブラジルのミュージシャン達だ。アメリカからは特別ゲストとして映画『バグダッドカフェ』のテーマ曲を演奏したWilliam Galisonが加わることになってるんだ。
AS.
これは日本のファンが一番待ち望んでいる質問だと思いますが、次のアルバムはどの位に出そうですか?
TH.
この9月の終わりには出せたらいいなと思ってる。だけどレーベルの問題を片づけなきゃならないので9月から10月くらいになるかな? (注:発売日未定)
AS.
レコーディングは終わってますか?
TH.
まだなんだ。8月までにニューヨークで半日ほどのベーシックトラックの録音をやって、それをもってブラジルに行ってダビングをして、それからまたニューヨークへ戻ってミックスをして、ってやっていって工場のラインに乗るのはその後だからね。
AS.
工程がたくさんあるんですね!
TH.
そうなんだ。だけど僕はそれを全部自分の手でこなすようにしているんだ。それはプレッシャーというよりも楽しい仕事だよ。
AS.
次のアルバムではどういった感じの曲が収録されますか?ブラジリアンとかボサノヴァとかですか?
TH.
うーん、スローなボサノヴァ、ミディアムな速さのボサノヴァ、それからバラードなんかを収録しようと考えてるんだ。フルートとピアノのコンビなんかのね。これはジョビンが得意としていたアレンジなんだけど、例えばフルート、ピアノ、ギターあるいはギター、フルート、ピアノ。曲によってコンビネーションが違うんだ。ほとんどの曲はスローからミディアムくらいでアップテンポのものは今回はなし。
AS.
次の質問は私がずっと持ってたものなんですが、あなたのセカンドアルバムに収録の『Manuel the Brave』はアルバム『Moon Stone』では同じ曲でタイトルが『Eternal Youth』と変わってますよね?これはどうしてなのですか?
TH.
あの曲は元々ポリグラムからリリースされた時には『Manuel the Brave』という曲だったんだけど、メロディもかなり力強いことだし一味変えて録音してはどうかとレコード会社がアドバイスをくれたんだ。それで彼らはタイトルについてももっと簡単な『Eternal Youth』みたいな名前がいいんじゃないかと提案してくれたんでそうなったんだ。僕がこの曲を書いたのは1970年でもう27年前のことになるんだけど、いまだにこの曲はブラジルでは根強い人気があって色んな人達がこの歌を唄うしレコーディングもされている。だけど大事なのは曲の名前じゃなくって曲そのものなんだ。
AS.
パットメセニーはあなたのセカンドアルバムのセッションに参加してから演奏のスタイルに変化がしており、これはあなたの影響だと思われますがこれに関してはいかがでしょう?
TH.
僕もそう思うよ。でも彼はそれ以前から僕の音楽を知っていてくれていたんだけどね。僕のセカンドアルバムの為にスタジオ入りする前に僕はリオデジャネイロの僕のアパートにパット呼んだんだ。僕は彼のためにキッチンで魚の料理を作っていたんだけど、その時彼は僕の部屋で僕のファーストアルバムを聴いていたんだ。彼は2〜3回は繰り返し聴いていたみたいで、彼にとってインパクトがあったんじゃないかなと僕は思ってる。 それから彼はブラジルで僕のセカンドアルバムのセッションに参加したんだ。彼は先に話の出た『Eternal Youth』も含めてアルバムの曲をすごく気に入ってくれてね、それにもちろん彼は本当に美しいソロプレイを演奏してくれたしね。パットはブラジル音楽に詳しくてね、『イパネマの娘』のAstrud Gilbertoとか、特にFlora PurimとかSergio Mendezをはじめ、色々なミュージシャンに非常に詳しかったね。 彼がボストンのバークレイ音楽学校に来たとき、そこで幾人かのブラジルのミュージシャン達に会う機会があったようで、そこでMilton Nascimentoのアルバム『Clube da Esquina』に出会ったんだ。このアルバムはMiltonの最高傑作で1972年に出た2枚組なんだけど、これが彼にとってMinas Gerais出身のミュージシャンから大きなインパクトを受けた最初になるんじゃないかな。 数年後の1980年に僕らはリオで再会したんだけど、それ以来彼は僕の音楽やアルバムに新しいインパクトをもたらしてもいるんだ。彼は本当にブラジルが好きで、実際に"Clube da Esquina"に訪れた時なんかはもう喜んじゃって『ほらほら、これが Clube da Esquinaだよ!写真をとらなきゃ!』って言いながら大喜びしてたよ。 彼のギターアイドルはウェス・モンゴメリーで、これは僕も同じなんだ。それから彼はビル・エヴァンス、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンが好きだし、僕ももちろん好きなんだ。言うまでもなく彼はアメリカ生まれだからそういったビッグミュージシャンのテクニック、関連書籍、情報、それから楽器なんかにしても入手できる環境にあったんだけど、僕は残念ながらそうではなかった。だけど僕らは音楽の方向性に関してはすごく似通ったものを持っていると思ってるんだ。 僕は彼の作品は大好きだし、彼の影響も受けてきた。僕が初めて彼のアルバムを聴いたとき、あれは確か1970年代の終わり頃で僕はパットメセニーグループの白いジャケットのアルバムを聴いたんだけど、本当にその一音一音が驚きだった。それから僕は彼のギターの弾き方にも驚いたね。僕はパットが大好きだよ!
AS.
あなたのサウンドとプレイは非常にオリジナリティに富んでいるので、例えば誰かのアルバムで、ライナーノーツなんかを見なくても音を聞いただけであなたがプレイしているとすぐにわかります。あなたはこれまで数多くのミュージシャンに多大な影響を与えてきていると思います。例えばアルバムの中でビートルズの『Across the Universe』を演奏してらっしゃいますが、あの有名な曲でさえあなたの手にかかるとあなたのオリジナルのように聞こえます。ここで質問なんですが、逆にあなたはどういったミュージシャン達から影響を受けてきていると思いますか?
TH.
僕に?やはりMilton Nascimento、Antonio Carlos Jobim それと Jorge Ben だね。Jorge Benのブラジルでのファーストアルバムは60年代の作品なんだけど、そこで彼は最強のサウンドを繰り出しているね。Carlos JobimはすごくソフトなプレイをするんだけどJorge Benはもっと黒っぽくて、なんていうか、血が強力なんだ。彼のアルバムを聴くとそのギターのタッチが本当にタイトで力強いんだ。僕はそんな彼のプレイのスタイルが好きなんだ。 彼は今では名前を"Benjor"と改めたんだけど、ブラジルの人達は彼の音楽を非常に愛しているんだ。
AS.
えー、これは音楽関連の話からはそれるんですが、"Benjo"というのは日本語では『トイレ』という意味なんです (笑)。日本で彼を紹介する場合には Jorge Benの方が良いでしょう、、"Benjor"は良くないです (^^;
TH.
はははは。ありがとう (^^;
AS.
えー、質問に戻ります (笑)。私はブラジルの言語はわかりませんが、あなたの心の暖まるような音楽は非常に深く心を打ちますし感動しています。例えばつらいとき悲しい時には『Manuel the Brave』を聴くと本当に勇気づけられます。音楽から非常に暖かなバイブレーションが感じられるのです。そこで質問なんですが、あなたはいつもどのようなメッセージを音楽に込めているのでしょうか?
TH.
あらゆる種類の愛、かな。僕の歌はみんな基本的にラブソングなんだ。もちろんたまにはファンキーな曲もやるけどね。 人生のどんな時にでも若やいだ心を呼び覚ましてくれるからラブソングは素晴らしいんだ。それから僕はみんながハッピーになれるようにベストを尽くしたいと思っているんだ。だけど僕は誰もが皆聴くような音楽をつくりたいとは思わないんだ、つまり、ただのお金もうけのためのイージーで商業的な音楽づくりは絶対にしたくないんだ。僕はいつも音楽のことを考えているんだ、決してお金のことではない。本当に音楽だけを考えているんだ。 長年にわたって多くのリスナーを得られたことは僕はすごくラッキーだと思ってるんだ。生き残るのは難しいからね。だけど最終的に僕は世界で一つの場所を得たと思っているんだ。そこでは多くの人達が僕に、僕のプレイに、僕のアルバム作りに期待してくれているんだ。僕にとっては自分が生き残れて、かつ音楽を続けられていること自体が驚きなんだ。 それと友達というのも僕にとっては大事な動機づけなんだ。もしあなた方、あるいは僕の音楽を愛してくれているみんながいなかったらこれは本当に悲しむべきことだし。
AS.
家族というのも大事ですよね?
TH.
TH:もちろん。家族は僕にとってはすごく大事なものなんだ。
AS.
日本にいるあなたのファンは皆、あなたがまた来てくれてライブをやってくれることを非常に楽しみにしています。来年も日本でライブをやってくれると約束していただけますか?
TH.
もちろん、約束するよ!僕は日本のみんなが大好きなんだ。行く先々でいろんな人と話もするしね。僕は神戸と岡山に行ったんだけど、すごく多くの人がきれいな花やプレゼントをくれたし、僕のCDにサインをしてほしいって来てくれたんだ。そんな中で、年が16〜17位の少年がいてブラジルのサッカーチームのTシャツを着ていたんだけど、彼はそのシャツにサインをしてほしいと言ってやってきたんだ。僕はこういうフィーリング、年齢や国籍を超えたこういう感覚を共有できることは本当に素晴らしいと思うんだ。僕は日本ではいつも素敵な経験をしているんだ。 小野リサのレコーディングが終わったらまた来るよ!彼女が招待してくれて今度の1月に福岡と大阪と東京の3個所のBlue Notesで演奏するんだ。日本にはなるべく早く僕のバンドもつれて来てプレイをしたいとおもってるんだ。(注:これは結局実現せず、リサは11月に福岡と大阪のBlue Noteで、クリスマスに東京のホテル・センチュリー・ハイアットで日本人ミュージシャンと新作のライヴを行います。)
AS.
日本のファンに何かメッセージをお願いします。
TH.
いつの日か僕は日本のミュージシャン仲間とだけでアルバムを作りたいと思っているんだ。今までいろんな人達、例えば矢野顕子、かっこいいヴァイオリニストの中西俊博、伊東たけし、小野リサ、the BOOMの宮沢、ギターの小畑和彦といったみんなとも共演してきたことだしね。このプレイヤー達との共演は素晴らしい経験だった。だからこういった日本のアーチスト達とアルバムを作るのは本当に関心のあるところなんだ。 僕は日本の皆さんが僕の音楽を聴いてくれて本当にうれしく思っています。どうか僕のことを忘れないでくださいね。僕はみなさんのことを決して忘れません。 皆さんが僕にくれた幸せに感謝しています。


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