Adam Holzman Interview

アダム・ホルツマンは80年代のマイルス・デイビス・バンドにキーボート・プレイヤー、音楽監督として在籍し活躍する。 その後は自己のバンド、ブレイヴ・ニュー・ワールドを率いてコアなジャズ・ロック・サウンドを追及している。
最近では2004年のマウント・フジ・ジャズ・フェスティバルにステップス・アヘッドの一員として来日したのも記憶に新しい。
また演奏活動とは別にCyberFusionのようなジャズロックを紹介するウェブサイト、jazz-rock.comを主宰もしていて多彩な面をもったアーティストでもある。

ー 最近の活動について教えてください。

Adam:  レギュラー・バンドのBrave New Worldに加えて最近Big Bang Theoryという新しいトリオをベースのフレディー・キャッシュとドラムスのロッキー・ブライアントと一緒に結成したんだ。ニューヨークの24丁目にあるThe Cutting Roomというナイト・クラブで定期的にギグをやっている。 ニューヨークのB.B.Kingの店であった「Moogfest」で演奏したところなんだ。「Moogfest」というのはシンセサイザーの発明者であるボブ・ムーグを讃える毎年あるイベントで、本当のキーボード・パーティーだよ。 それとソニー・スタジオでハイ・ノート・レコードから今年の後半にリリースされる予定のウォレス・ルーニーのニュー・アルバムのレコーディングも終えたところだ。

ー 昨夏にステップ・アヘッドと共に来日されましたが、いかがでしたか?

Adam: 僕にとっては本当に凄いコンサートだったよ。彼らと一緒に演奏する機会を得て、「Safari」、「Pools」や「Oops」などのステップスの古い曲をやれるなんて素晴らしい経験だった。

ー 94年の「Vibe」でステップスに参加されていますが、90年代にステップスのライブには参加されていたのですか?

Adam: 「Vibe」はマイク・マイニエリと共同プロデュースして2−3曲で演奏もしている。でもライブでは一度も演奏したことがなくて去年のマウント・フジが初参加だったんだ。

ー 多くの人たちはあなたのことをマイルス・デイビス・バンドに参加してから知るようになったと思うのですが、その前に何をされていたのか、教えてください。

Adam: マイルス・バンドに入る前は、ロスアンゼルスを中心にシンセサイザーのプログラミングのセッションを沢山こなしていたし、主にはギタリストのテッド・ホールと共にThe Fentsというジャズロックバンドを率いていた。西海岸で多く演奏したし、80年代の初めにはアラン・ホールズワースの前座として数回のツアーもやった。

ー マイルス・デイビス・バンドのメンバーになったのはどのようなきっかけだったのですか?

Adam: LAでランディー・ホールというヴォーカリストのMCAからのアルバムの仕事をしていたんだけど、そのランディーがマイルスと知り合いだったんだ。ランディーは「The Man With The Horn」のタイトル曲で歌っていたんだ。マイルスがワーナーからのデビュー作のための曲をやってみないかと彼にコンタクトしたんだ。そのアルバムが「TUTU」となったんだ。そのときにランディーがマイルスとのセッションで一緒に演奏しないかとさそってくれたんだ。それが1985年の10月だった。それでマイルスと会って、未だに発表されていない曲、「Rubber Band」をマイク・スターンのギターを入れてレコーディングした。マイルスはその時シンセサイザーにとても興味を持っていて、僕のオーバーハイム・エキスパンダーとPPGウェイヴ2.2から出てくる音を凄く気に入っていた。それにその時レコーディングした曲にもすごく喜んでいた。
そしてニューヨークに来てバンドと一緒にリハーサルをしてライブのために「Rubber Band」をアレンジしてみないかと誘ってくれたんだ。そして僕はニューヨークに行ってバンドとリハーサルをしたんだ。とても緊張したよ。でもマイルスはとても協力的で、僕のやったことを気に入ってくれた。そして気がついたら3週間のヨーロッパツアーにでかけていたよ。それからマイルスと4年間一緒に演奏することになった。

ー あなたは2人目のキーボード奏者としてバンドに入ったわけですが、もう一人のキーボード、ロバート・アーヴィング3世とどうやって役割を分けていたのですか?

Adam: はじめのうちはロバート・アーヴィングがコード弾きの伴奏とメイン・パートのほとんどをやって、僕はホーン・ラインを重ねたり、ミニ・ムーグでベースを弾いたり、クラヴィネットのパートを弾いたりといったような元のレコーディングでオーバーダビングされたようなパートを再現するラインとなったパートに集中していた。
実際には我々の役割はもっと絡み合っていくようになった。僕は伴奏をしてソロし、彼がラインを弾いたりしてもっと面白いものに発展していったんだ。
自然発生的なオーケストレーションのようなものになって第2のパートとともにコードを移動させてみたりするようなちょっとしたアイデアを即興でやっていた。

ー その後、あなたはマイルス・バンドの音楽監督(ミュージカル・ディレクター)となったわけですが、音楽監督の役割はどんなものだったのでしょうか?

Adam: マイルスがやるべき大まかなアイデアを出して、僕が譜面を書き、そのアイデアをバンドが演奏できるようなものに整理するといったことだった。そしてマイルスが入ってきて、全部変えてしまうんだよ。音楽監督の主な仕事はマイルスがいないときにバンドのリハーサルを仕切ることと、マイルスのアイデアを他のミュージシャンにわかるように伝えてやることだった。

ー あながたが、マイルス・デイビス・グループに在籍していた間にギタリストがマイク・スターン、ロベン・フォード、フォーリーと替わっていますが、彼らは非常にタイプの違うギタリストです。何故このようなメンバーチェンジをしたのでしょうか?

Adam: 彼らは皆凄いプレイヤーだったけれど、マイルスはいつも何か新しいものを探していた。マイク・スターンがソロとして独立するときに、トミー・リピューマがロベン・フォードを推薦したんだ。ロベンも既に他の仕事があって6ヵ月後の86年の中頃に彼の新作「Talk To Your Daughter」のプロモーションのためにバンドを脱退した。そこでマイルスはサンフランシスコのロベンの友人のギタリスト、ガース・ウェバーを雇った。その後2−3ヶ月の間にマイルスはドウェイン・ブラックバード・マクナイトを試してみたり、87年の初めにハイラム・ブロックを2−3回コンサートで使ってみたりもした。春にはボビー・ブルームも2−3回やった。沢山のギタリストだったよ。そしてマイルスはマーカス・ミラーからフォーリーのテープを受け取るんだ。後はご存知の通りだよ。

ー 新しいギタリストを選ぶときは音楽監督として関わっていたのでしょうか?

Adam: 実際のところほとんど関わっていなかったよ。マイルスからいろいろなプレイヤーについてどう思うか聞かれて、それについて自分の意見を伝えていた程度だ。

ー マイルスからはどんな影響を受けたのでしょうか?

Adam: それはそんなに簡単には答えられないよ。
多分、他の人も同じようなことを言っていると思うんだけど、いかに曲作りをシンプルにするかということと、ソロをするにしても作曲するにしてもいかに音楽に空間を残すかということを学んだ。そして僕にとって一番重要な影響だったのは、グルーヴ(リズムの感覚)をつかむということだ。正しいグルーヴは曲全体を持っていくことができるんだ。
それとマイルスのことをよく考えるんだ。時々、「マイルスならどうするだろう?」ってね。

ー あなたはCyberFusionに似たようなサイト、jazz-rock.comを運営していらっしゃいますね。自分のサイトとは別に何故このようなサイトを始めたのですか?

Adam: 長い間こんなことをやりたいって思っていたんだ。かなり昔に僕はロスアンゼルスでThe Fentsというバンドをやっていて「The Jazz-Rock Manifesto」というユーモラスなジャズロック新聞を作っていたんだ。
90年代の初めにニューヨークのイーストヴィレッジに移ったときにそのアイデアはもっと現実のものとなった。僕はレイチェルZ、マイク・スターン、ウェイン・クランツやその頃の僕のバンド、モナリサ・オーヴァードライブのメンバー達と一緒にイースト・ヴィレッジ・ジャズロック同盟というのを結成したんだ。それは本当の同盟というものじゃないんだけど、いろいろな違った組み合わせでやっていたZanjibarというクラブの火曜の晩のギグ以上のものではあった。
その頃、ウェブが始まった頃でそれだけのために「jazz-rock.com」を登録したんだ。
いつの日か何かのためになるだろうと思ってね。
その後、自分自身のウェブサイト(www.AdamHolzman.com) を作るときにウェブマスターのJohn Pritchard(ドラマーであり、ジャズロックマニアでもあるんだけど)がjazz-rock.comでも何かやってみようと持ちかけてくれたんだ。それは雑誌のような編集スタイルの独断的なウェブサイトで、これといった計画はないんだけど、これで世界征服でもしてやろうかと思ってるよ!(笑)

ー 今後の計画について教えてください。

Adam: 来週にはトランペッターのWallace Roneyのヨーロッパ・ツアーに出かける。そしてBrave New Worldの新しいCDをやっと完成させるんだ。これは今マスタリング中でヨーロッパのレーベルからリリースされる予定だ。 それと8月にはオーストリアのOutreach Academyというところでクリニックと演奏をする予定だ。興味のあるミュージシャンはwww.outreach.atをチェックしてほしい。 それと自分の新しいCDを秋にはリリースできればいいなと思っている。それに合わせてツアーもやりたい。 それと今秋にはColumbia/Legacyからボブ・ベルデンと僕はプロデュースしたマイルスのプロジェクト「The Cellar Door Sessions」6枚組のボックスセットがでるよ。これは昔の名作「Live Evil」を生み出した1週間にわたるセッション全てを収録したものでキース・ジャレットが電子楽器を弾いているのは注目だよ。

ー どうもありがとうございました。



Vibe
Steps Ahead
Man with the Horn
Miles Davis
TUTU
Miles Davis
Talk to Your Daughter
Robben Ford
Manifesto
Adam Holzman
Overdrive
Adam Holzman
Big Picture
Adam Holzman
Check CD   Check CD   Check CD   Check CD   Check CD   Check CD   Check CD  

Interview by Masato Hashi
Photos courtesy from Adam Holzman

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