2004年5月18日、ドラムの巨人エルヴィン・ジョーンズがこの世を去った。 皆さんお元気ですか? 久しぶりです! あれよ、あれよ、と言う間にあの偉大なドラマー、エルヴィン・ジョーンズと日毎の二年間に渡る世界ツアーをしていた時代からもう25年以上も経ってしまった。その後も80年代にはニューヨークのブルー・ノートとか佐渡で行われた最初の鼓動祭、そして湾岸戦争の始まる直前にはイスラエルのレッド・シー・ジャズ・フェステイヴァル等にも彼のバンドの一員として出演した事もあるがいずれにしても、ここ10年以上は会っていない。エルヴィンが殆ど危篤状態だと言う噂は一月前位から耳にしていたので凄く気になっていたがとうとう数日前に亡くなってしまった。本当に数日間心から泣いてしまった。 初めてエルヴィンに会った(見たと言う方が適切かもしれないが…)のは大学時代私の大学、日本大学理工学部が御茶の水だったのだがそこにあるジャズ・クラブに彼が出演した時だった。確かジャズ・クラブ“ナル”の前身だったのではないかと覚えている。感動的な演奏を見た後、当時アマチュア学生ミュージシャンだった私は恐る恐る私の当時の音楽帳にサインして貰えないだろうかと思って差し出したのだが何と気軽に”LOVE”,“Elvin Jones” と サインしてくれた!その音楽帳は今でも大事に持っている。 その後何がどうなって実現したのか解らないけれども6年後にはアメリカで彼のバンドのレギュラー・メンバーになっていた!不思議な巡り合いかもしれない。 彼のバンドを通しての南米、北米、そしてヨーロツパ全土に渡るツアーは数限りない思い出と有意義な機会を齎してくれた。でも一番私にとって身になったのは彼のライド・シンバルから1メートルも離れていない所で二年間も演奏し続ける機会に恵まれた事だと思う。彼のパルスが私の骨身にしみ渡って、ジャズの本髄を楽しめたからだ。 エルヴィンのドラミングの真髄は機械的な要素が全く無い所にあると思う、本当に純粋な生命のパルスだからだ。普通のドラマーはどうしても小節単位で処理してしまう傾向にあるのでアクセントのくる場所が予期出来てしまって緊張感が減少してしまう。面白い現象は普通のソロイスト達はドラマーがコーラスの区切りでのオン・ビートにアクセントが聞こえるのに慣れているのでその様なガイドに頼りながらエルヴィンと共演すると簡単に何処にいるのかロストしてしまう。偉そうな顔をしてエルヴィンのバンドに客演を申し入れた有名なソロイスト達は沢山いたが本当にしっかりとした自身の生命のパルスで演奏出来た人達は数少ない。 その様な自身の生命のパルスの無い演奏家達は簡単なブルースでも数コーラス後にはもう半コーラスもずれてしまっている。エルヴィンの予期出来ないアクセントを小節やコーラスの頭だと聞き違えているからだ。そんな事は良くあって私と当時のベーシスト、デイヴィッド・ウイリアムスは顔を見合わせてクスクス笑ってしまったのを覚えている。でも、もしソロイストが確固とした自身の生命のパルスで演奏出来ればエルヴィンとの真実の会話状態が成立する、そしてその状態は限りない可能性を生み出す。ビートと言うよりも波(ウエーヴ)と表現した方が適切かもしれない。そんな事が自然に出来たドラマーは世界中捜してもエルヴィンしかいなかったと思う。私の知る限りではこの様なウエーヴを醸し出すパルスはキューバのサンタリアとその根源にあるアフリカのヨルバ文化(現在のナイジェリア)のバタ・ドラミングから行き継がれている産物にしか見当たらない。基本は三連音符であるが機械的な三連音符ではない。飽く迄も自然な呼吸と心臓の鼓動に基ずく三連音符である。早い話が自然に歩いたり踊るパルスに一番近いとも思われる。同様な演奏はチャーリー・パーカーのソロにも聞かれる、当時の彼の共演者達はどちらかと言うと四角張った予期出来る演奏をしていたにも拘らず パーカーのみ自然なパルスで演奏しているのが今聞いても新鮮である。どちらかと言うと習字で筆を滑らす感覚や呼吸にも似ている。 エルヴィンの冥福を心から祈る。 ちなみに、私は本当に久しぶりの二十日間弱に及ぶ日本公演を私の旧友でもある著名なベーシストの鈴木良雄氏と2004年、6月を通して行いますので出来れば是非聞きにいらして下さい。その後もフィンランドのポリ・ジャズ祭等にも私のトリオで出演します。これらのスケジュールはhttp://www.satellitesrecords.com/artists/junejuly2004.htm に掲げてあります。 それでは、Hope to see you soon!
2004年5月24日 |
川崎燎 参加のエルヴィン・ジョーンズ作品
エルヴィン・ジョーンズのジョン・コルトレーン共演代表作
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