杉山泰のLAレコーディング日記
ある日、久しぶりにピアニストの杉山泰からメールが届いた。
ロスアンゼルスでのニュー・アルバムのレコーディングが決定したのだという。しかもプロデューサーにGRPから数々の作品をリリースし、スムースジャズ系の売れっ子でもあるデビッド・ベノア、リズム・セクションはドラムにロックからジャズまで幅広いジャンルでパワフルなプレイをするヴィニー・カリウタ、堅実なグルーヴで西海岸を代表するベーシストのエイブラハム・ラボリエルという超豪華版だ。
99年にリリースされた前作「Yasu Sugiyama」もリズムはクリス・ミン・ドーキー、クラレンス・ペンと強力だったが、今回のリズムセクションはLA最強と言ってもいいような組合せだ。
それなら是非、LAまで飛んで同行取材をと言いたいところだったのだが、暇も金もないのでやむなく断念。そこで杉山氏ご本人にお願いしてレコーディング現場の生の様子を日記風に綴ってもらえることになった。その「Beautiful Moments in L.A.」というタイトルが決定したアルバムのLAでのレコーディングの様子を今回から数回にわけてお送りするのでお楽しみください。
Part. 1 Preparation in Japan
7月4日 Independence Day
前作「Yasu Sugiyama」 David Benoit 氏に、彼のサイトのフアンの為のメールアドレスから、メールを送る。突然の申し出で大変失礼だと思うけれど、私のアルバムのプロデュースをお願いできないだろうか?という内容のもので、まあ返事が来たらラッキーだな、という感じでいた。
7月11日
Benoit氏から返事が届く。非常に短く、I'm interested in producing your Record. という事が書いてある。本当にびっくりした。それから、自分の今までのCDを送るようにとの事で、3枚CDを送った。
7月30日
Benoit氏から、CDを聞いた、自分のアイデアとしてはBass Abraham Laboriel Drums Vinnie Colaiuta が良いと思うのだが、どうだろうかというメールを受け取る。この瞬間今回のプロジェクトで一番興奮した瞬間だった。椅子からころげおちた。ギターは江口正祥を日本から連れてくるのがベストだろうとの提案もあった。そこからはビジネスの話しが色々ある。(これはあまり詳しくはお伝えできませんがお許しください。)
8月16日
マネージャーのRon Moss氏から、Benoit氏がこのプロジェクトをとてもやりたがっているので、なんとか色々問題を解決していこうという、メールを受け取り、なんとか実現しようと心に決める。この頃今となっては笑い話しだけど、メールでしかやりとりしていないので、果たしてこれは本当にDavid Benoit氏なんだろうか?という不安が襲って来る。あちらも会った事もない自分とこんなプロジェクトを進めてしまって大丈夫なんだろうか?と、この頃もまだ半信半疑という感じだった。なんせこちらはなんのメジャーレーベルのバックアップもなければスポンサーもいない状況で、あちらはGRP recording artistなのだから。しかもVinnie とAbeだ。もし実現したらそれはそれで大変な事だ。今からピアノ練習しようか、とか、この頃の自分の精神状態はかなり異常な感じだったと思われる。
8月28日
「Fuzzy Logic」
by David BenoitマネージャーのRon Moss氏からスケジュールの最終調整に入っているとのメールを受け取る。Vinnieのスケジュール待ちだとの事。ここでいよいよこれは実現してしまうんだと、すごい感覚に襲われる。なんらかの楽器をプレイしたことのある人なら、2ヶ月後にVinnie とAbeとrecordingです、と言われてまともな精神状況でいられるとは思えないだろう。もううれしさを通り越して一体どうなるんだろうと、会った事もない自分にこんな環境を提供してくれるDavid Benoit氏とは一体どういう人なのだろう?もう?マーク連発である。
8月31日
遂にスケジュールが決定した。10月14日から24日までロスアンゼルスでレコーディング!!
9月初旬
David氏から、アナログ24チャンネルのテープをまわして 基本的にスタジオライブの雰囲気で、レコーディングするとのメールが届く。という事はいわゆるせーので録音するので、ごまかしはきかない。
9月13日
オリジナルの曲、9曲入ったテープを送る。今思うと、こちらとしては各楽曲ごとにアレンジの打ち合わせなど行なうのかどうか心配していたが、特になんの指示も無く大丈夫だろうかと不安になる。
10月2日
10月14,15日と2日間アレンジの打ち合わせをDavid 氏の自宅で行なう事が決定する。
と同時にCDのセールスを考えて、2曲カバー曲を入れてはどうかという提案がある。そして1曲はDavid氏の曲でJ-WAVEの為に書いた曲で「Blue dawn」という曲があるのでその曲はどうか?との事だった。
もう1曲はこちらで考える事になり、「Hotel California」 や、「I wish」などが候補に挙がったが、最終的にCyber Fusionの橋 雅人氏の勧めで、Pat Methenyの 「Song For Bilbao」に決定する。この辺からDavid氏も忙しくなり、10月5日から13日までハワイに仕事で行くとの事で、あとは14,15日のミーティングの時にという話しになった。それとこのCDの為に1曲共作をしようと言う嬉しい提案もしてくれた。これはCDの中の P.V. Sunsetという曲名で8曲目に入っている曲で、これも会ってから考えようという、脳天気な(?)申し出(笑)。今だから笑えるがこの頃、一体こんなに何も決まっていなくて大丈夫なんだろうか?と非常に不安だったのが懐かしく思い出される。
さてここからPIANOを練習したり、あーなんで日頃から真面目にやっていなかったんだろうと後悔したり、一体本当にあのメンバーは集まってくれるのだろうか?とすごい精神状態が続く、友達にも殆ど言ってなかったのに、うわさは広まる物で、ビニーとエイブとやるんだって? と色んな人に言われてまたプレッシャーがかかる。挙げ句の果てにピアノ抜きのテープ録って来てね。と言われる始末。それもいいなー。と思う自分も自分である。
10月12日
そしていよいよ、成田からロスへ向けて出発した。(つづく)
by Yasu Sugiyama
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