新作"NEW ROAD,OLD WAY"を語る



T-スクェア 安藤まさひろインタビュー (2)


●ディーン・パークスのソロに感激

−−レコーディングのとき、安藤さんは、どのギターを使ったんですか?

安藤:サーと、ギブソンのES335ですね。メロディーは335で、伴奏はサーのほう。サーは、割とシャープな音がするので、シャープな音の伴奏に、そしてロックな音がするので、ロックな曲で使いました。335は、軽いロックかな(笑)。
 今回のアルバムは、ほとんど335で弾いているんですよ。<UNITED SOUL>、それから<GOOD OLD DAYS>の伴奏はサーのギター。<COME AND GET IT>では、コリングスの小さいアコースティックギターを使っています。

 ふたりになってからの利点として、「リズムギターを頼めちゃう」っていうのがあるんですよ。今回、僕はディーン・パークスのギターは、本当に生で聴きたかったんです。あんまり普通の人は知らないと思うし、かなり古い人なんですけど。AORっていうジャンルがあったでしょう。ああいう音楽の伴奏で、ディーン・パークスってそこらじゅうに出ているんです。時々ソロをとるんだけど、それがめちゃめちゃいいんですね。渋いソロなんですよ。派手じゃないけど、「うわぁ、上手いなあ」と、AORが華やかなりし頃から彼のことは好きだったんです。ザ・スクェアのアルバムでいうと、「ロックーン」の頃かな。寺尾聡の「ルビーの指輪」が流行った頃。あのころ、AORが流行っていたんですよ。となると、エアプレイ(1980年発売)ですよね、ジェイ・グレイドンとデビッド・フォスターの。あのアレンジが大ヒットして、曲だけじゃなくてアレンジがヒットして、歌謡曲が全部あのアレンジになったんです。今はみんな歌謡曲がブラックなアレンジでしょ。そのぐらいからディーン・パークスっていう名前が気になっていたんですね。

 こういう人を伴奏に従えて弾くのは、いいですよ。素晴らしい伴奏をしてくれるんです。1曲目でソロをやってもらったんですけど、ひととおりリズムが終わって「ここでソロをやってくれますか」と頼んだら「オッケー! じゃ、録ってよ」と1回テープをまわして演奏して、それでOK。テイク1ですよ。何も直さない、直すところがない。しかも聴いてて「ううっ! カッコいい! ニュアンス出まくり!!って、ぶっ飛んだんですよ。。一応バトル状態になっているので、彼のあとに僕がソロを弾いているんですが、何度も何度も録りました。


●エンジニアのエディ・キングと試行錯誤

 今回一緒にやったエディ・キングっていうエンジニアが、いろいろと口うるさくて、おかげで助かったんですが(笑)、せっかくだからディーンがやったフレーズを引き継いで自分のフレーズを…と思ってやっていたソロを、「それはちょっとあざといな。クサいよ」みたいなことを言われて、「そう? いいと思ったのにな…」ってシュンとしたり。結局、全然違うことをやりましたけど。

 やっぱりミュージシャンって、自分のこだわりがあるから、人にいくら「今の良かった」と言われても、自分が気に入ってないところがあると嫌なんですよ。だから、そこを直したくなる。ソロを何度もやっていて、エディが「グレート!!」と言っているんだけど、僕はすごく嫌だったから、「ここを直す」といったら「信じられない。お前、それを直すんだったら、俺は嫌だ」と反論してくる。「今のより良かったらOKでしょ」「それはそうだけど」みたいな話になって、僕はそんなことを言われるもんだから、必死になって何度もやる。
 そこで、「自分が気に入ってない」というのは「こうすればよくなる」という点がわかっているから、結果としては良いソロができるんですよ。だけど彼は「ホントに良くなるのか」みたいに思っている。だからプレッシャーになっちゃって、ダメだったりして。しつこく「バッカヤロウ」とか思いながら何度もやって、そうしたらいいソロができた。それに彼も「今のはグレートだね」と納得してくれて、円くおさまったんですが。
 
 エディ・キングは、ポリスのギタリスト、アンディ・サマーズとアルバムを何枚も作っているらしくて、ギターにはめちゃくちゃ詳しいんですね。アンディ・サマーズとやっているときはプロデューサー的なこともやっているので、今はエンジニアだけど、一時期ミュージシャンになろうと思ってピアノと作曲を大学で勉強したこともあるらしいんです。だから音感もよくてハーモニーも詳しい。本人は、エンジニアにとどまらずプロデューサー的なことをやりたいという意識が強いんでしょうね。だから、ついついそうやって言ってくるんだと思うんですが。
 音感もいいから、ピッチの問題でも「今のはちょっとシャープした」とか、弾いていると気づかなくなることを指摘してくれたり、リズムのタイミングの問題なども、シビアに言ってくれました。
 彼はダビングからミックスまで3週間ぐらい日本にいて、ホテルに一人暮らしをしながら、スタジオまで毎日通ってきていました。日曜はお休みにしていたんです。すると翌日になって、「昨日は何をしてた?」というと「昨日は北千住の商店街に行ったんだ。見てくれ」と、デジカメに撮った写真を見せてくれて「ベリーナイスだったよ」なんて話してくれたりしてね。気さくで、すごくいい人でしたよ。

−−安藤さん、伊東さんが日本で演奏したものも、全部エディ・キングが録ったんですか。

安藤:そうです。今回はプロツールズっていうハードディスクで初めてレコーディングしたんですが、その機械に、いろいろ問題が起こった。向こうでラリー・ウイリアムズのテナーソロを録ってきたら、開けてみたらデータがないんですよ。なくなっていた。不思議ですよね。いまだに原因がわからなくて、でも、ないものはしょうがない。結局ラリーにデータを届けて、もう一度ソロを入れて送り返してもらって、それをミックスしました。むこうでリズムを録っているときも、何かの理由で止まったりして、すると復旧作業に時間がかかる。それから、音のいい48khzで録音したかったのに、誰かのミスで44khzのまま録った場所があったり。デジタルってね、そういうトラブルがいろいろあるんですよ。


−−でも、プロツールズには優秀な面もあるから、使ったんですよね?

安藤:そう、あとでエディット(編集)ができるというのが大きいですね。それと、録音メディアが小さいんです。ちっちゃなハードディスク2個で、6曲、7曲と録音できる。アナログテープだと、テープが、ものすごい山のようになっちゃうのに。さらに、ソロが消えてしまっても、あとで送ってダビングしてもらえたりできる。そういうメリットがあるんです。もしかしたら、近い将来にはブロードバンドで日米同時録音も可能になるかもしれないですね。

●ジム・ケルトナーのドラムは深い響き

−−それと、安藤さんは以前、作曲をするときに、サンプリングを流しながら作曲していたというお話でしたけど、最近はどうですか。

安藤:そういう方法も使いますし、いろいろですね。前は「サンプリングを取り入れた曲を作ろう」という魂胆のもとにサンプリングを流していた部分はありますけど、いまは誰かが叩くのを想定して、ドラムパターンを流しながら、ビートを聴きながらギターを弾くほうが作りやすい部分もあります。<COME AND GET IT>は、ドラムをサンプリングにしました。本当はこの曲、ドラムをジム・ケルトナーにお願いしようとしたんだけど、彼の音楽にはないリズムだったんですね。最近、彼がビル・フリーゼルのアルバムに参加していて、ビル・フリーゼルとやっているぐらいだから、何でもできるんだろうと思っていたんですが、彼に対する僕の認識不足でした。これは、ちょっと跳ねたリズムの曲なんですが、LAに行ってから「この人は跳ね物なんかやらない」とわかった。この人は「ド、ストトッ、パン」みたいなキックはやらないんだ、うわ〜ヤバい〜と思って、ドンに相談したんだけど、ドンもやっぱり「無理だな」というので、この曲のドラムはサンプリングになりました。

 だけど、<DOWN TO MEMPHIS>を最初に録る時、音をまず聴かせてもらったんです。そうしたらね、300年か400年前の木でできた、湖の底に沈んでいた木を引き上げて乾燥させた楽器が最近出はじめていて、ギターでもあるんですが、ジム・ケルトナーのドラムはどうやらそれらしいんですよ。でね、もう、本当に深く「ドーン…」って響く。で、かる〜く叩く。バン! なんてやらない。タンタンタン、トントントンって、深く響く。キックもね、ドゥッ! とかいわない。
 すると、軽く叩いているんだけど、深くてゆるい、気持ちいいビートが出るんですよね。そこで僕は、ジム・ケルトナーってこういうドラマーなんだというのが、初めてわかった。彼も昔はもっと違う音でやっていたのかもしれませんが、いまはこう考えているということもよくわかった。だから、<DOWN TO MEMPHIS>とか、叩いてもらった曲では非常によかったですよ。そのかわり、<COME AND GET IT>みたいなイマ風の曲は、全然合ってないということも、そのドラムの音を聴いてわかったんですが。そういうこともあって、あとで<GOOD OLD DAYS>を新しく書きたしたんです。

−−いろいろあったんですね…。

安藤:ええ、いろいろありましたね。でもね、そのときは「あちゃ〜」ってなってるけど、「この曲はできない」っていうこと自体が、面白いですよね。ジム・ケルトナーがそういう人で、昔はジョージ・ハリスンなんかとやっているけど、今はビル・フリーゼルとやって、ああいう深い音を彼が叩くんだなと、知ることが喜びですよ。

●ゲスト・ミュージシャンたちの人間性

安藤:ひとつ大きいのは、自分の音楽を相手にやってもらうと、「お願いします」とは言っても、こっちが親分なんですよ。すると、向こうはなんとかスクェアの音楽を理解して、こっちに合わせようとしてくれる。そこでスムーズにいくこともあれば、うまくいかないこともあるけれど、こっちの土俵で勝負しているので、すごく相手のことがわかりやすい。もし、たとえばドン・グルーシンに呼ばれて「安藤、ここでギターを弾いてくれ」と言われたら、僕は彼の音楽に合わせるだろうし、一生懸命やるだろうけど、彼のキャラクターまではわからないかもしれないですね。逆に、こっちが親玉だと、ゆとりがあるから、相手の人間性まで感じることができるんです。

−−では、レコーディングを通して、共演したミュージシャンの方々と、音楽性はもちろん、人間性まで触れ合って帰って来たなという手ごたえがある、と。

安藤:そうですね。それは、フレンドシップブラジール、そして今回と、いつもあります。僕って不器用な音楽家だから、セッション・ミュージシャンでもない、アレンジャーでもない、T-スクェアで音楽をするスタイルをとっているでしょう。そういう意味では、T-スクェアを通していろいろな人と出会えることに、伊東さんとふたりになった意味があるのかもしれないですね。バンド時代のT-スクェアでも、ニューヨークでフィリップ・セスとやったり、ジェリー・ヘイとロサンゼルスでアルバムを作ったりしましたけど、今のほうが深く共演している感じがあります。

 だから、レコーディングはすごく楽しいし、勉強になりますね。半分は、ミーハーで行ってますから(笑)。「わぁ、ディーン・パークスだ! どんな機材を使っているんだろう」なんていって、アンプのつまみ部分を写真に撮ったりしちゃって。彼らはテイク1ですごくいい演奏が録れてしまう。そのプレイの凄さにも圧倒されるけど、音楽に対する考え方についても「ドン・グルーシンはこういう考え方で音楽をやっているんだな」とか、見えますからね。

 たとえばね、伊東さんがサックスソロを入れているときに、ドンが卓のほうに行っていろいろアドヴァイスしていたんです。「いまのソロ、すごくいいけど、何か、ひとつのものを見ていない。あっちを見たりこっちを見たり、いろんな景色を見ちゃっている。それよりもっとひとつの景色を見て演奏したら」ということを言っていたんです。「はぁー!!」と思った。確かにそのソロでは、いろんなフレーズがいっぱい出てきたんです。もっと組み立てて、ビルドアップするようなソロにしたら、と意味だったんだけど、「それを、こういうふうに言うんだな」「そうか、いろんなものを見すぎているんだ」「勉強になるな」と思ってね。そういうことにも、感心しちゃうんですよ。

 バンド時代って、そんな事態はなかったからですよ。「いいね! いまのソロ」って感じでレコーディングはどんどん進んでいくし、この人はこうやるな、って予想がつくから曲作りもスムーズだし、どんな難しいフレーズでも、みんなサーっとできちゃうし。それはそれで素晴らしいことだったんですけどね。

−−では、ふたりのT-スクェアになってから、それまでには全然なかったようなことをどんどん体験しているわけですね。

安藤:ええ、書いていった曲が演奏できない、なんていうこともバンド時代にはありえませんでしたから。今となっては、5人で最後に出した「T-スクェア」ってアルバムを聴くと、ぴちぴちのリズムで、ここまで完全にシャープにはなかなかできないぞ、と改めて思いますよ。

●5人のT-スクェアと2人のT-スクェア

−−今日、お話を伺っていて、安藤さんは「バンドの頃」という言葉を使っていますけれど、今はバンドじゃないんですね。

安藤:全然バンドじゃないですね。バンドってね、僕のイメージだと、それで完結するんですよ。メンバーが「せーの」で集まって音を出せば、バーンと音楽ができる。ものすごく完成度が高いもの。それに対して、今やっているスタイルでは、相手にない部分をお互い持って支えあっているけれど、それだけでは決して音楽はできあがらない。伊東さんと僕のふたりでラジオに出たりしますけど、それはT-スクェアの一部分でしかないし、5人のときとは決定的に違いますね。固定のドラマーがいないとか、ベーシストがいないとか、マイナスワンでも相当違うかもしれないと思います。

−−現在は、ライヴのたびにサポートの人がいろいろ変わっていますよね。聴く側としては「おお、感じが違う!」と思いながら聴いているんですが、演奏する側は…。

安藤:もう、むちゃくちゃ違いますよ。同じ曲でもね。面白いですよ。それも楽しいんです。去年の12月に、チキンジョージで年末ライヴを5日間やったんですが、そのときのドラマーは、則竹君と2日間やって、本間大嗣君と2日間やって、それから則竹君が戻ってきてから1日やったんです。このとき、最初の2日間の則竹君がドラムっていうのはよくやっているパターンで、普通なわけですよ。

 次に本間君が来たときに、ロックの人だけあって、ドラムの音がめちゃくちゃ大きいんですよ。リズムのタイプも全然違う。のりちゃんはもっと、ピシッピシッ! という感じなんだけど、本間君は、大きい感じ。それぞれ乗っかり方が違ってくるんですよ。しかも北島健二というギタリストがいるから、僕は最初の2日間と較べてラクでした。ひとりミュージシャンが増えると、音圧がめちゃめちゃ増えるし、自分の役割が減るから。5分の1の自分と、6分の1の自分がいる。彼が去り、のりちゃんバンドに戻ったとき、北島くんがいなくなって5人になったのが寂しくて、しかもバンドの音が小さいから、スカスカに感じたりしたんですよね。不思議というか、ゲンキンというか。

 だけど本間君とやったときに、フュージョンの人だと、「ソロをやって、合図で戻ろう」の一言で済むことが、ロックの人だと、あまりそういう「キューで」みたいなことはないみたいで、「ベースソロがこうなったら次に行こう」と決めていく必要があったりして、戸惑ったりもしました。

 僕らフュージョン系の人間は、音楽をわりとクラシカルにとらえる面があって、なにごともアカデミックにやっていこうとする部分があるようなんです。たとえば、音が伸びて次の小節まで1拍食い込んでいるところがあったら、4分の4の譜面で考えると、あと3拍あるから、3つ数えて次に行こうとか、設計図を思い浮かべるんですね。本間君とやっていると、設計図なんかどうでもいい、それよりも「生理的に、ここでこうなったほうが気持ちいいから、ここでフィルを入れよう、それが自然でしょ」みたいな。それも、ジャンルわけするのは変かもしれないけど、フュージョンは「何拍目」って数えていないとわからなくなっちゃうけど、ロックは「数えるんじゃなくて気持ちいいところでいきましょうよ」という感覚があるみたいだ、とかね。本当に、そういう違いが面白いですよ。

●日本のフュージョンの中心にいるという自覚

−−日本のフュージョン・シーンを考えたとき、T-スクェアとカシオペアってやっぱり中心的な存在だと思うんですけど、安藤さんとお話していると「自分が中心なんだ」とか「自分がリードしてるんだ」みたいな変な気負いがあまりないような気がするんです。そのへんはいかがなんでしょうか。

安藤:えっ、中心? あの〜…(苦笑)。T-スクェアもカシオペアも、ジャズから来ていないから、独特ですよね。野呂君も僕も、ジャズはかじったし、ビバップはやったけど、ジャズを出発点にしてロックを取り入れようとしたわけじゃなくて、基本がロックなんですよ。そういう経緯で、日本独特のインストゥルメンタル音楽ができて、スクェアとカシオペアは、枚数的に、今までにないぐらい売れた。そういう意味では中心といえるかもしれないけど、僕らみたいな音楽は、独特で他にあまりないから、中心というのも、なんだかヘンな感じなんですよね。他に100個ぐらい似たようなバンドがあったら、中心っていう言い方もあるのかもしれないですけど。
 LAに行って、ジャズ・フュージョンっていうと、僕らの音楽とは全然違いますもんね。パット・メセニーにしても、LAのベイクド・ポテトでやっているジャズの人たちも、僕らよりもっとジャズに近いですよ。リズムは8ビートだったり16ビートだったりするんでしょうけど、リフ物みたいな簡単なテーマがあって、あとはソロで持っていくみたいなスタイルでしょう。イエロージャケッツなんか、使っているハーモニーもすごくジャジーだし。ブレッカーも、ジョンスコも、マイク・スターンも、どちらかというとジャズですよね。リッピントンズは僕らに近いけど、その路線は少数派だと思うし。僕らみたいに、Aがあって、Bがあって、Cがあって、Eにいくといった、ほとんどがメロディーでちょこっとソロがあるというようなバンドは、向こうにはないですよ。僕らはハーモニーもすごく歌ものチックだし。だから、アメリカに行って自分がジャズ・フュージョンっていうのは抵抗がありますよ。比較的スタイルが似ていると感じるのは、リッピントンズとか、ラリー・カールトンかな。日本でいうと、高中正義さんみたいなポップ・インストゥルメンタルの世界に近いと思ってます。

●ジャムバンドの流行に、時代の繰り返しを感じる

−−最近はどんな毎日を送っているんでしょうか。

安藤:けっこう暇ですよ。以前はゲームの仕事なんかもやっていましたけれど、最近はスクェアがオフのときは、他の仕事もしないで、オフになってます。みくりや裕二君とのギター・デュオは、毎週のようにリハーサルをしていますけど、それぐらいですね。
 暇になると、内側から「音楽をやりたい」という気持ちが湧いてくるんですよ。それがいい。忙しいと、「ああ、〆切がいついつだ」と、仕事的な感じになるんです。もちろん、やりとげるとすごく充実感はあるんですけど。ただ、暇になると「ああ、こういうことやりたいなあ」と、原点に戻れる。そういう意味でいいんですよね。

−−最後に、今後の予定を教えてください。

安藤:次のアルバムは、則竹君がロンドンに行っているので、ロンドンで録れたらいいですね。彼にキーボードとベースのいいプレイヤーを探しておいてくれ、って頼んであるんですよ。そこまで軌道にのるまでに、もう少し時間がかかるかもしれないけれど、ロンドンで、僕と伊東さんに則竹君、そして現地でキーボードとベースを頼んで、何かできないかと思っています。

−−実現したらウェルカム・トゥ・ザ・ローズ・ガーデン以来のロンドン・レコーディングですね。

安藤:そうですね。僕ら、今回、音をベタ塗りするのをやめたんですよ。ちょっと前の時期は、シンセサイザーを入れてサウンドを厚くしていた。それを、もっと「人」が見えるように、薄いサウンドを作ろうとしたんです。もしロンドンレコーディングが実現するなら、セッション的なことができないか、テーマだけ書いていって、そこでやりながら曲にしていけないかなと考えています。今回も、割合にそういう感じだったんですよ。

 特にドンのアレンジした譜面は、コードが書いてあるだけなので、かなりセッション的にやったんだけど、それはそれでできるという手ごたえがあった。実は、セッション的にやると古くさくなるのが心配だったんですけど、逆にそれが新しのかもしれないと思ったりして。最近ジャムバンドとか出てきてますよね。僕はジャムバンドが面白いとは思っていないけれど、ああいう音楽が出てきたことに、時代が繰り返している流れを感じるんです。昔、「クリーム」とか、アドリブで音楽を作るバンドがありましたけど、そういう路線でやってもいいし。「漠然としたもの」をやれないかな、と思っています。


Part 1.に戻る


Photography courtesy of Village-A
Interview & Text by
Mime
Copyright  by 2002 Cyberfusion
Special thanks to
Village-A