コンセプトは「フュージョンっぽいことをやめよう!」



安藤まさひろインタビュー(1)


●「フュージョンっぽいことをやめよう」

−「ニュー・ロード・オールド・ウェイ」のレコーディングは、2001年の11月に行なわれたそうですね。企画はいつごろから持ち上がっていたんですか。

安藤:相当前から話は出ていたんですよ。前作の「ブラジール」を作っているときに、「ブラジルに入国はできても、楽器が税関を通過できないのでは」という心配があったので、パット・メセニー・グループのスティーブ・ロドビー(b)にプロデュースを依頼する案を並行して考えていたんです。
 
 実際、去年の春にはディレクターがスティーブ・ロドビーに会いにシカゴまで行って、プロデュースをお願いしたいと話をしているんですよ。でも「ブラジール」が問題なく進行したので、スティーブ・ロドビーには次回にお願いすることにした。ところが、いざ今回のレコーディングについて検討をはじめてみると、彼は参加できないということになってしまった。今になると、2001年の9月という時期は、メセニーのレコーディングとぶつかっていたんじゃないかと思いますけれど。

 こういういきさつで、まずは「シカゴでスティーブ・ロドビーとやろう」というアイデアが出ていたわけです。シカゴってニューヨークでもないし、ロサンゼルスでもない。僕にとっての「シカゴ」は、ブラスロックのシカゴなんです。だから「ブラス・セクション」のイメージがまず出てきた。もうひとつは、シカゴ・ブルースとか、シカゴ・ジャズといった、ニューヨークやロサンゼルスとは違って、もう少し懐かしい、アメリカ音楽の原点に近いような音楽。
 
 「ブラス・セクション」や「懐かしい音楽」というイメージが浮かんだところで、伊東さんと話したのが、「フュージョンっぽいことをやめよう」ということでした。これは曖昧な表現ですが、簡単にいうと、難しい仕掛けやキメといったジャパニーズ・フュージョンにありがちな要素の少ない、ゆったりしたリズムが心地よく続いていく音楽、だけどインストゥルメンタルのものをやろう。それが今回のコンセプトになりました。

 結局スティーブ・ロドビーの参加が難しくなったので、シカゴにつてがなく、どういうミュージシャンがいるのか、探しようがない。そういう意味では、ロサンゼルスならほとんどあらゆるタイプのミュージシャンが探せる。ならば、シカゴじゃなくなったけれども、LAに行って、目指すサウンドにふさわしいミュージシャンを集めてアルバムを作ろうということになりました。

 最初は「気持ちいいグルーヴが続いて、ちょっとジャズのエッセンスが入っている」という意味で、スティーリー・ダンのような音楽を考えたんです。そこで、バーナード・パーディ(ds)とチャック・レイニー(b)という大物コンビと是非やりたかった。まずはチャック・レイニーと最初にコンタクトがとれたんですが、彼はバーナード・パーディとの共演に難色を示した。「じゃ、誰がいいの」と言っているうちに、ジム・ケルトナー(ds)の名前があがったんです。

 チャック・レイニーとジム・ケルトナーといえば、スティーリー・ダンで1曲やっているし、そういう意味ではいいかなと思いましたね。ジム・ケルトナーって、すごく古くは「アティテュード」っていうバンドがあって、デビッド・フォスターと、ダニー・コーチマー、ジム・ケルトナー、ベーシストがちょっとわからないんですけど、インスト・バンドの原点みたいな、スタッフよりもさらに古い時代のバンドなんです。そういうことをやっている人だから、是非ジム・ケルトナーとやってみたいと思った。チャック・レイニーやジム・ケルトナーは、ただ器用に譜面を読んで「なんでもこなす」というよりは、どちらかというと不器用で、「こういうのをやると凄い」というタイプのスペシャリストですね。

 さらに、伊東さんが「俺はサックスをダビングするときに勢いでいっちゃうから、ディレクションをしてくれて、ミュージカル・ディレクター的な、自分の演奏を客観的に見てくれる人がほしい」というので、ドン・グルーシンが浮上したんです。彼はデイブ・グルーシンの弟さんで、一世を風靡した人ですよね。もともと大学の教授だったりして、すごくクレバーでスマート。プレイはもちろん人間的にも素晴らしくて、ミュージカル・ディレクターにふさわしい人でした。

 こんなふうに、全部「これだ」と最初に決まっていたわけじゃなくて、かなり紆余曲折があって、スケジュール的にもいろいろと調整しながら、だんだん決まっていったんです。とにかく基本は気持ちのいいグルーヴを集めた音楽をやろう、ということでした。
 
−−では、構想から1年以上かかっている作品なんですね。

安藤:ええ、「スティーブとやろう」といってからは1年以上経ってますね。ただ、実際にミュージシャン探しに着手したのは去年の秋口です。発端は早いけれど、流れとしては、伊東さんとふたりになってからのパターンですね。

−−2001年の秋口というと、ちょうどテロが起こった時期ですよね。レコーディングの予定などは特に影響を受けなかったんですか。

安藤:いや、LAに行って録音することになっていた日程が一旦延期にはなりましたね。会社としても今は行かせられないという話になって、結局LAに行ったのは11月になりました。

−−曲は、どういう感じで書きすすめていったんでしょうか。

安藤:2001年の春ぐらいから書こうとはしていたけれど、実際に取り掛かったのはレコーディング直前の9月からです。

−−では、1か月ぐらいで一気にアルバム1枚分作った感じですか。

安藤:そうでもないんですよ。「こういう曲が書きたい」という意図はあるんだけど、作っているうちに別の路線になっちゃって「ダメだ」とか悩んだりしてね。<GOOD OLD DAYS>なんて、レコーディングが始まってから僕が新しく書きあげた曲なんです。いったんレコーディングをすませて僕らがアメリカから帰ったあと、今年に入ってからディレクターに再びアメリカで演奏を録ってきてもらって、そのテイクに僕と伊東さんが日本で音を足して完成させたんですよ。

−−曲は比較的スムーズにできたんですか。

安藤:いや、苦しみました。バンド時代って、アルバム1枚について僕が書いていたのは4曲、5曲、少ないときは3曲ぐらいでした。今考えると、それはかなりラクだったんですよ。今回は10曲以上書いてますからね。さらにバンドの頃は、みんな作風が違うから、自分の中で作風が違ってもOKで、許容範囲が広かった。ビートルズだって、イエスタデイの伴奏は弦楽四重奏だけど、ポールが歌えばOKという部分がありますよね。結局、以前はバンドというフィルターを通って出てくるので、何をやっても統一感が出ていたんです。

 
でも、伊東さんとふたりになってからは、ある程度の枠を設定しています。自分でコンセプトを考えないと、しっちゃかめっちゃかになっちゃうな、というのがわかってきたんです。そういう意味で今はバンド時代と違っていますね。

−−前より今のほうが、曲をつくるときに苦労は多いですか?

安藤:うん、全然多いですよ。バンドだと、作曲者が仕上がりに責任を持つので、そこでは自分は演奏だけに集中できる。それはやっぱりラクなんです。そこで「いい伴奏ができた」と思えば、自分の役目は一段落する。あとの仕上げは、作曲者が中心になって進んでいきますから。
 
でも、ふたりになってからは、全曲自分で面倒をみなければならなくなったわけです。伊東さんは、ミックスでもマスタリングでも、自分のサックスがどう聴こえるかを大切にしているんです。彼はサックスプレイヤーだから、それは当然のことで、大事なことですよね。だけど、僕はやっぱり全体を把握しなきゃいけないから「サックスが聴こえないからブラス下げて」といわれて「まあまあ、そこは」とか(笑)。やっぱりね、むちゃくちゃ大変ですよ。でもそのぶん、やりがいがある。大変な分、楽しいです。

−−今回、伊東さんは曲を書かなかったんですか。

安藤:ええ、「降参」といってました。

−−須藤さんに曲を頼むというのは、安藤さんが考えたんですか。

安藤:そうですね。頼んだ理由としては、まず、全部自分の曲だと飽きちゃうんですよ。何かしら違う色が入っていたほうがいい。本当は9曲中の2曲ぐらいは伊東さんの作品が入っていれば、僕としてはバランスがとれたんですけど。T-スクェアつながりで、和泉君、本田君ときたので、今度は須藤くんにお願いしてみたら、「喜んで」といって4曲作ってくれた。その中で<PHAT PHUNK>が今回のアルバムにぴったりだったんです。

●レコーディング現場に入って

−−実際のレコーディングの場面の様子についてですが、まず、ロサンゼルスには何日ぐらい滞在したのですか。

安藤:10日ぐらいですね。その間に6曲リズムを録ったんですよ。1日3曲、2日で6曲。

−−それは、ペースとしては速いんでしょうか。

安藤:こういう音楽にしては速いですね。バンドのときは、レコーディング前のリハーサルやプリプロをかなりやりますから、1日3曲ぐらいは平気で録ってましたけど。今回お願いしたミュージシャンは、簡単な曲が多かったとはいえ、初見で演奏していたわけですからね。

−−最初のリズム録りで、「おおっ」みたいな驚きはあったんでしょうか。

安藤:レコードでは聴いていたけど、スタジオで聴くは初めての人たちで、どうなるのかなと思っていましたから、「ああ、こういうドラムの人なんだ」「こういうプレイをする人なんだ」と驚きはありました。チャック・レイニーは予想以上に不器用で、得意な分野に関してはもの凄い人でしたよ。ドン・グルーシンは、バランスがよくて、何でもできる感じでした。

−−ドン・グルーシンがアレンジしている曲もありますよね。それはやはり、事前にお願いしておいたんですか。

安藤:そうですね。インターネットでアレンジを送ってもらったりして。すごくマメにコンタクトをとっていたんですよ。彼は難波君に似ていますね(笑)。

−−どんなところが?

安藤:全体像を見るところですね。僕はどちらかというと、重箱のすみをつついてしまうんだけど、もっと大きく「この曲には何が必要で何が必要でないか」を判断してくれる。彼にお願いしたのは、大正解でした。

−−安藤さんと伊東さんのパートは、アメリカで録音されたんですか?

安藤:僕は、ほとんど録ってないんですよ。機材が充分に持っていけなかったし、いい演奏もできなかったので、日本に戻ってから録音しました。伊東さんは「GOOD OLD DAYS」と、「AURORA」「ANCIENT DREAMS」の3曲は日本でしたが、ほとんどは向こうで録れました。(つづく)


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Photography courtesy of Village-A
Interview & Text by
Mime
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