ステップス〜ステップス・アヘッドの系譜

1.第1期 アコースティック時代
1979年ニューヨークで結成され、ブレッカー・ブラザーズの経営するジャズ・クラブ「セブンス・アヴェニュー・サウス」で活動していたマイク・マイニエリを中心としたセッション・バンドは80年に来日公演を行い、翌年その時の六本木ピットインでの演奏を収めたライブ・アルバム「スモーキン・イン・ザ・ピット」を発表する。このバンドは当時すでにフュージョン界のスターだったマイケル・ブレッカー、スティーブ・ガッドを擁して、アコースティックの4ビートジャズを演奏するという、当時としては斬新なもので、このアルバムは大ブレイクすることになった。スティーブ・ガッドの繰り出す4ビートのリズムは伝統的なジャズの4ピートのノリとは一線を画すもので、当時のジャズ雑誌には「ステップスはジャズではない」といったような論調の今から見れば陳腐とも思えるような記事が掲載されたりもした。
この第1期ステップスはその後、この来日時に録音されたスタジオ盤「ステップ・バイ・ステップ」を、翌年にはドラムスをピーター・アースキンにメンバーチェンジして本拠地セブンス・アヴェニュー・サウスでのライブ盤「パラドックス」と計3枚のアルバムを日本でのみ発表する。今は亡きドン・グローニックのピアノがたっぷり聞けるのもこの第1期だ。

2.第2期 エレクトラ・アサイラム時代
83年にニューヨークでのライブの評判、日本での成功を受けてアメリカでもメジャー・レーベルからアルバムがリリースされることになった。このときにステップスというロック・バンドがすでにあるという理由でバンド名はステップス・アヘッドと改められる。 このバンドの1枚目のアルバムとなる「ステップス・アヘッド」は第1期に近いアコースティックなサウンドだったが、2枚目の「Modern Times」からはシーケンサーを取り入れたり、アフリカ音楽のエッセンスを取り入れたりと、フュージョン的要素を強めていき、エレクトリック化していく。それにつれてメンバーはアコースティック・ベースのエディー・ゴメスが脱退し、キーボードもイリアーヌ・エライアス、ウォーレン・バーンハートと作品ごとに流動的となり、徐々にバンドというよりもマイク・マイニエリとマイケル・ブレッカーのコラボレーション・プロジェクト的色彩を強めていく。
この時代の最期のスタジオ盤となった「マグネティック」は固定メンバーはマイニエリ、ブレッカー、ピーター・アースキンの3人のみで、あとのメンバーは曲ごとにゲスト・ミュージシャン迎えて録音されているが、エレクトリック・サウンドを極めたステップス・アヘッドとしてのひとつの到達点ともいうべき完成されたサウンドに仕上がっている。

3.第3期 NYC時代
86年の来日以降は、マイケル・ブレッカーは待望の初ソロ・アルバムを発表し、ソロ活動を開始、ステップス・アヘッドは自然消滅に近い状態が続く。 しかしマイク・マイニエリは89年に北欧出身の新鋭サックス奏者ベンディックを従え新生ステップス・アヘッドのアルバム「N.Y.C.」を発表する。その後、このアルバムのタイトルよりとった自身のレーベル、NYCレコードを設立し、そこからステップス・アヘッドのアルバム「Yin-Yang」「vibe」、自己のソロ・アルバム、プロデュース作品などをリリースしていく。
この時代のステップス・アヘッドはアコースティックジャズに回帰しはじめたマイニエリのエレクトリック・バンド的な面を打ち出していくソロ・プロジェクト的な色彩が濃くなっていく。その中でベンディックを始めレイチェルZなど若手アーティストの登竜門的な役割も担うことになる。

4.第4期 再結成アコースティックバンド
99年夏、マイニエリ、イリアーヌ・エライアス、ピーター・アースキンに加え、新メンバーにボブ・バーグ、マーク・ジョンソンを加えてツアーを開始する。このバンドはベーシストをアコースティックに戻し、ステップスとしての原点に戻ったかのように思える。ヨーロッパではライブ録音がされたという話しもあり、ニュー・アルバムが期待される。(橋 雅人)


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