Pat Metheny Orcheatrion Tour

Live Report

Pat Metehny(g,g-synthOrchestrion)

 

すみだトリフォニー 2010.06.12

 

パット・メセニー オーケストリオンの演奏は、メセニー一人と自動演奏楽器群という、いわばソロ公演のようなものだ。

ライブ時間は予想を上回り、途中休憩無しの、3時間近くにもなった。

もちろん途中ダレることもなく、非常に密度の濃い、素晴らしい演奏を聴かせてくれた。

会場の観客は非常に静かで、食い入るように集中して聞いているのがわかる。

まるでクラシック会場のようで、ちょっと離れていても、話をしてるとわかるほどだ。

 

特にアナウンスがあったわけではないが、ライブは3部構成のように感じた。

 1.ソロ・ギター

 2.オーケストリオンを使った新作からの曲。

 3.オーケストリオンを使った従来の曲&インプロビゼーション + アンコール

 

ライブ開始当初、オーケストリオンの楽器群はカバーがかかったままで全貌は見えていない。

そこにメセニーが現れる。当然、彼一人だけのライブが始まった。

 

まずはメセニーのソロギターの演奏から始まった。

ナイロン弦ギターによる、これまでのメセニー・オリジナル曲・メドレー。

あの曲、この曲の断片が出ては消え、この曲だけでもファンならばグっと来てしまう。

そして”Unity Village”が演奏される。この曲は1975年のメセニーの1Stアルバム「Bright Life Size」収録曲だ。

今回のライブは、新作以外からは結構古めのECM時代の曲が多く演奏されているように感じる。

 

カバーがおろされ、オーケストリオンの全貌が現れると、新作「Orchestrion」からの曲が始まる。

あのアルバムの大掛かりな自動演奏・・・それが目前で、そしてリアルタイムで演奏される。

どんなにバックが変わろうと、メセニーはまさにメセニーらいいギターを聞かせる。

CDで聞いても凄いなとは思ったが、いささかリアリティに欠如して感じていた。

それを目前で、まさに一人で演奏している・・・実際に目の当たりにすると、かなりのインパクトがある。

 

スタジオ録音のライブ再現というのは、機材の進歩と共に、可能/不可能が追いつ追われつの関係にあった。

今日では、「打ち込み」手段により、大抵のものは演奏再現可能とされている。

しかし、メセニーのオーケストリオンは、それらと再現の意味合いが当然違う。

そしてメセニーはこれほど大掛かりな装置を、製作はライブ再現をも視野にいれて創られている。

これを考え付いてはいても、実現できるなんて並大抵ではない。

 

ライブの後半は今までの曲やメセニーのインプロヴィゼーションが繰り広げれられた。

 

大掛かりなオーケストラが必要だったためか、日本にはツアーでは来なかった「Secret Story」からの”Antonio”

この曲を、違った意味で大掛かりなオーケストリオン・バージョンで聞けたのも大きい。

 

アンコールで演奏された”Stranger in Town”は、Pat Metheny Groupの曲。

こういったバンド編成の曲を、オーケストリオンで演奏されることを、実は心待ちにしていた。

この曲なんて、本来はバンドのインタープレイでこそ映えると思っていたが、Orchestrionでも遜色ない。

どちらを取ると言われたらバンド演奏のほうだけど、こちらはこちらで面白かった。

 

メセニーの初のソロ・アルバム「New Chautauqua」から”Sueno con Mexico”も演奏された。

ギルド製ギターで弾いたフレーズをループさせ、そこで一人多重演奏になる。

サビではオーケストリオンが加わって、オリジナルとはまた一味違った演奏だ。

時を越えて、このような古い曲がまた新たな魅力と共に蘇ってきた気がする。

 

 

結局、真の見どころだったのは、曲の数々というよりも、実はインプロビゼーションそのものではなかったかと思う。

ライブを聞く前は、果たしてここまで大掛かりな装置が必要だったのか?という疑念も生まれていた。

既に多くのミュージシャンがやっていて、もはやコンサバな「打ち込み」でも同じではないか?・・・と。

オーケストリオンの演奏が新作の曲だけであったら、その疑念は消えなかったであろう。

 

ところがインプロヴィゼーションを聞くと、やはりこの演奏はJazzである事がわかった。

打ち込みは単なる音楽の再現手段であるのに対して、オーケストリオンは再現だけではない。

メセニーはフットスイッチでオーケストリアンを制御し、それはあたかもバンドと同じように、インタープレイを行った。

その場でメセニーは触発され、この瞬間に生み出された即興として、音楽を届けてくれていたのだ。

 

「メセニーはここまで来てしまったのか」という言葉は既に30年前にも聞かれた言葉だ。

その言葉を何度も繰り返して今日に至るわけだが、この日もまたこの言葉を繰り返すことになるライブとなった。

今回のオーケストリアンに、「次」があるのかどうかは、今はまだわからない。

例え今回だけであったにしても、メセニーの数々の期間限定プロジェクトがそうであったように、我々には以後何年も忘れることの無い、とても印象に残るライブを見せてくれたと思う。(TKO)



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