ハンコック、ショーター、ホランド、ブレイドのカルテットは2日続けて見た。
このカルテットは、ハービー・ハンコックとウエイン・ショーターのプレイの濃密なところから、この2人のデュオがカルテットに拡大したバンドと考えても、大きく外れてはいないであろう。
その2人に食い込むブライアン・ブレイドのプレイが、また素晴らしい。ブライアン・ブレイドを生で初めて見たのは、ジョシュア・レッドマンの新進ドラマーという、まだ新鮮さが漂っていた頃だった。それが今や押しも押されぬTOPドラマーの一人として数えられ、プレイに風格も感じられるようになった。
特にこのステージでは、ハンコックに対するレスポンス、挑みかかるようなドラミングが目を引いた。
ウエイン・ショーターは、ソプラノSaxではなく、テナーSaxをメインにしていた。
そのテナーSaxのプレイだが、以前ならテナーはもっとテナーらしいゴリゴリしたプレイだったのだが、テナーSaxでもソプラノSaxと同様に変幻自在なプレイを聴かせてくれた。
同じような編成のウエイン・ショーダー・カルテットとは音楽の質も内容もまた一味違う。
いつもにも増して、ショーターの自由奔放でかつ妖しく、変幻自在なプレイには言葉を失う程だ。
ハービー・ハンコックは、ウエイン、ブレイドを向こうにまわしたインタープレイが凄い。
どの音にも即座に反応するレスポンスなど、まさに高度なJazzの瞬間を魅せてくれる。
ただハンコックの場合、Freeがかった演奏よりも、曲としてまとまった演奏の方が彼らしいピアノを聴けるような気がする。
"Aung San Suu Kyi"ではバッキングからソロへと、ハンコック節が縦横無尽に聴くことが出来る。
ピアノといえば、このイヴェントではハンコックだけスタインウェイを使い、他のピアニストは皆YAMAHAだった。
もしかしたらハンコックだけピアノ持込(?) だったのかもしれない。
デイブ・ホランドは、他の3人が自由に演るのとは対照的に、音楽に1本の核をなすがごとく堅実なベースプレイを聞かせる。そのベースは重く、芯のある音色で、ずっしりとした存在感を漂わせる。
1つだけこのLIVEで不思議な演奏があった。
最後の曲"Footprints"で、謎のアフリカ系ギタリスト”リオーネル・ルエケ(Lionel Loueke)”が ゲスト参加したのだが、これこそが「怪演」。
指でギターを「弾く」のではなく、「こする」という演奏方法で、当然まともなギターのサウンドはしない・・・カリカリと、コリコリと、またサンプラーと連係したり・・。
このギターで結果的に曲としては不思議なテンションをもたらされたのだが、無かったら無いでそれでも構わないような・・・?
これまで東京Jazzはユッスー・ンドゥールやリチャード・ボナとアフリカ系ミュージシャンが目を引いたのだが、今回は・・・・何て言ったら良いのか。(苦笑)
2日目の演奏は約40分で、1日目の約70分よりも短いステージだった。時間はTVで確認したのだが、実際も短く感じた。時間以外の違いはと言うと、1日目は緊張感、テンションに溢れるステージあったとすれば、2日目は緊張感がやや薄らぎ、代わりに幻想的な面が強いステージだったと思う。
息を呑むような緊張感、そしてFreeな展開・・・1曲1曲充実した
いずれの日も濃厚で圧倒的なステージを披露してくれた。
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