Mike Mainieri Cyber Interview

マイク・マイニエリは96年12月にスペシャルバンドを引き連れてブルーノート東京でのライブを行ないました。彼は70年代からニューヨーク・オールスターズ、ステップス、ステップス・アヘッドなのでの活動を通じニューヨーク・フュージョン・シーンのリーダーとして活躍するかたわら、カーリー・サイモンなどのプロデュースも手がけ、現在は自己のレコード会社NYCレコードの社長としての手腕もふるっています。 今回のCyberInterviewは東京のマイク・マイニエリの宿泊先のホテルで行なったものです。


WO.(アスワン) まず今回の日本公演のメンバーを紹介していただけますか? それと今回のバンドのコンセプトはステップス・アヘッドとどのように違うのでしょうか?

MM.(Mike Mainieri) このバンドのメンバーはドラムスがオマー・ハキム、ベースにアンソニー・ジャクソン、ウォーレン・バーンハートがシンセなしの生ピアノ、ボブ・ミンツアーがテナー・サックス、私がビブラフォンをプレイしている。 このバンドとステップスの違いを説明するのは難しいなあ。どのステップスとの違いだい? 過去にいろいろ違うステップスがあったからね。長年の間に50人はこのバンドで演奏してきたんじゃないかな。

WO. ベンディックがいた頃の最近のステップス・アヘッドとではどうですか?

MM. 最近のステップス・アヘッドは86年に再結成して以来続いているんだけど、その最初のバンドはノルウェーのサックス奏者のベンディックを入れて、レイチェル・Zがキーボード、ジム・タンネルがギターを弾き、ベースにジェフ・アンドリュース、ドラムにスティーブ・スミスという編成だった。これはいわば聞きやすいといったバンドだった。コマーシャルという訳じゃないんだけども、今まで私がやったどのバンドよりも沢山のレコードが売れたんだ。あのレコードには何かちょっとしたものがあったんだ。「N.Y.C.」は聴衆にえらく人気があって、彼らはそのレコードが大好きだったんだ。この時の2枚のアルバム(訳注:「N.Y.C.」と「Ying-Yang」)はラジオでもよくオンエアされたよ。過去の私のバンドにはない種類の人気だった。

WO. 今回のバンドとの比較ではどうですか?

MM. 基本的にはその音楽自体が違う。ベンディックはアドリブはできるがジャズ・プレイヤーではない。ビバップのプレイヤーじゃないんだ。一方ボブ・ミンツアーは伝統的な音楽、ジャズをプレイできる。だから今回のバンドはステージを見てもらったなら気がついたと思うけど、スウィングやビバップの曲も何曲か演奏している。ベンディックがいた当時のバンドはワールド・ミュージックの要素のかなりはいった「N.Y.C.」のアルバムの中の曲を演奏していた。一部の曲は私が書いていたし、ベンディックも曲を書いていた。だから今回のバンドはベンディックの頃のステップス・アヘッドの曲を演奏できるだろうけれど、あの頃のステップス・アヘッドは今回のバンドが演奏しているような曲には合わないというべきだろうね。これはややこしい質問だね。サックス奏者次第って訳だ。レイチェル・Zは何でも弾けるし、スティーブ・スミスもジェフ・アンドリュースもそうだ。 今回のバンドのリズムセクションのアンソニーとオマーは非常にパワフルだ。リズムのセンスがすごい。

WO.今回のバンドで新しいCDを作る計画はないのですか?

MM. もともと既に80年に「セヴンス・アヴェニュー・サウス」というアルバムを作っているという理由で今度のバンドではアルバムは作る予定はなかったんだ。今回の公演のために特に曲も書かなかったしね。「ワンダーラスト」からの曲やステップスの曲、最近の「アメリカン・ダイアリー」からの曲などを演奏した。いろいろな曲がまざっていて実験のようなものだね。 ヒサオ(ビデオ・アーツ・ミュージック海老根氏)とはレコードをつくる話はしたよ。彼のほうから一度話があった。僕は「う〜ん、わかんないな。」と言ったけどね。私は過去に作った曲は全てレコーディングしてしまったと思うんだ。もしレコーディングするなら新曲を書かなくちゃいけない。このバンドがどういう音になるかよくわからなかったんだ。ブルーノート東京は私にウォーレンとオマーとボブ・ミンツアーとアンソニーを連れてきてくれって言ったんだ。それだけだよ。本当のところ最初はブルーノートは違うベーシストを指名してきたんだ。実際彼らは2ー3人の違う名前を挙げてきた。それで直前になってこのバンドで実験的にやってみることに決めたんだ。こんなによくなるとは思ってなかったんだよ。本当に気分よくやれた。だからある晩の公演の帰りのバスの中でみんなでレコードを作るべきだなんて話もしたよ。

WO. このバンドでステップス・アヘッドの再結成するというのはどうですか?

MM. それはいい考えだね。うまくいくかもしれない。ブルーノート東京の人達はまた来年も来てほしいと言っていた。いつかはわからないけどね。多分今週はお客さんの入りがよかったんだろうね。ここでどのくらいで入りがいいって言うのかはよくわからないけご、そこそこよかったんだと思うよ。だからこのバンドでアジア、ヨーロッパのツアーということもできるだろう。そうなればレコードを作るというのも意味があるだろうね。ツアーをやればアルバムを売ることもできるしね。ツアーなしではアルバムを売るのは難しいんだよ。

WO. このバンド自体をステップスもしくはステップス・アヘッドと呼ぶことについてはどうですか?

MM. 別にかまわないと思うよ。ボブは既にステップスで演奏したことがあるんだよ。彼はニューヨークのブルーノートでステップス・アヘッドと一緒にプレイしたんだ。それに80年代にはセブンス・アヴェニュー・サウス・バンドとしてボブは私が書いたステップスの曲をかなり演奏したしね。ウォーレンはステップスにいただろう。オマーはもちろん若いころだけど何年にもわたって「ティーバッグ」や「プールズ」などステップス・アヘッドの曲をたくさん演奏していた。そうするとアンソニーだけがステップスの曲を演ったことがないかな。でも彼はニューヨーク・オールスターズで一緒だったし、その時僕の曲を2ー3曲プレイしている。彼らに聞いてみないとわからないな。ボブはイエロー・ジャケットのメンバーだからそれが急にマイク・マイニエリのステップス・アヘッドのメンバーとしてでてきたら変かもしれないね。もし問題があるとしたら彼だけだろう。アンソニーはOKだろう。彼は知ってる限りでは今は何のバンドもやってない。オマーは大金を稼ぐ大物ロックバンドの仕事で超売れっ子のドラマーになってしまってる。でも彼はこのバンドをすごく楽しんでるってのはわかっているんだ。

WO. あなたは現在フュージョンというよりもアコースティック・ジャズを指向されてるように思いますが、フュージョンというものについてどう思いますか?

MM. 今のところ僕が興味があるプロジェクトは2ー3ある。 ひとつはアメリカン・ダイアリー・プロジェクトだ。既に2枚のアルバムを作っている。1枚目はジョー・ラバーノ、ピーター・アースキン、エディー・ゴメスと私で作ったものだ。そしてつい最近2枚目をジョージ・ガルゾーン、ベースのマーク・ジョンソン、ピーターにいろんなゲストを加えて完成させたところだ。この音楽はカテゴリー分けするのは好きじゃないんだけれどどちらかというと「サードストリーム(第3の波)」みたいなものだ。このアルバムにはさまざまな伝承や神話をもとにした曲でできている。だからカルテットの音がよかった。このバンドでテネシー州のナッシュビルで2000人の観客を集めてコンサートをしたんだけど、彼らはこのカルテットに熱狂していたよ。すごくフリーでアヴァンギャルドなんだ。それからフュージョンファンにということでは、僕ができればいいなと思っていることのひとつは、ステップスは今年はツアーをしないで1年休みにしてしまっているので、まだはっきりしないのだけれどもマイケル・ブレッカーと私、エディー・ゴメス、そしてスティーブ・ガッドかアースキンどちらか都合がつく方、多分マイク・スターン、イリアーヌかウォーレンというメンバーで再結成してレコーディングし、ワールドツアーをするということだ。できないかもしれないけどね。ただそれに今回のバンドがでてきた。このバンドは今週はすごくいい演奏をしている。これはちょうど(アコースティック・ジャズとフュージョンの)中間くらいの音だ。このバンドでは大音量のシンセもMIDIヴァイブもハードなギターも使わずに多くの電気楽器を避けてよりアコースティックな音にすることによって多くのエネルギーを集中させてきた。それが気持ちいいんだ。私は自分をあれをやったらだめだとか、やらなきゃだめだとかいうような形でカテゴリーに閉じ込めてしまうのは嫌いだ。その時々にこれだと感じたことをただやるだけなんだ。

WO.最後にファンの人達にメッセージを頂けますか?

MM. 僕のただひとつのメッセージは僕が自分自身の人生の中でやってきたことをもしできることなら君たちもやってみるってことだ。これはそのアーティストを信じるってことで、アーティストにとっては自分自身を真実っていうことがもっとも重要なことなのだと思う。その時それがストレート・アヘッドなジャズやフュージョン、ただ前衛的な絵画のようなものであっても音楽に出会うということができるんだ。

WO.どうもありがとうございました。.



Special thanks to Mr.Hisao Ebine of Video Arts Music
Interviewd by Aswan
Photography by Hans
Transcripted by Masato Hashi
Copyright 1997 by CyberFusion