Jason Miles Interview

80年代からマイルス・デイビス、マーカス・ミラー、マイケル・ブレッカーのキーボード奏者、プログラマーとして頭角を現し、近年はウェザー・リポート、イヴァン・リンス、グローヴァ-・ワシントンのトリビュート作のプロデューサーとして活躍するジェイソン・マイルス。
今回は70年代にレコーディングした幻の1stアルバム「Cozmopolitan」、来年1月にリリースされる予定のマイルス・デイビスにちなんだ新作「Miles to Miles」のことを中心に話を聞くことができた。

ー 「Cozmopolitan」を録音した1979年当時は何をしていたのですか?

Jason Miles(以下JM):  その頃、私はニューヨークにいてより多くの電子楽器を使った音楽への新しいアプローチで自分を売り出そうと懸命になっていた。でももっともクリエイティブな状況でもまだ変化に対する抵抗があってなかなかうまくいかなかった。
「Cozmopolitan」を作ったときは全部自分自身でやろうとしたんだ。すると多くの人たちが私の見方を尊重し始めて、私がやっていたことに興味を持ち始めるようになった。
1974年にNYに戻ってきたときは多くの新人アーティストと同様にただ何とかしようともがいていたんだけど、自分の決心と今は妻となっているガールフレンドのサポートで集中することができた。

ー 1979年にはマイケル・ブレッカーは既にブレッカー・ブラザーズの成功で売れっ子だったと思うのですが、どうやって知り合ったのですか?

JM: 私は彼が兄のランディーと一緒に経営していたセブンス・アヴェニュー・サウスというジャズ・クラブによく行っていたんだ。友人にマイケル・ブレッカーが僕のプロジェクトで演奏したくれたら凄いんだけどなあと言ったら、彼がマイケルを紹介してくれて、マイケルが僕のプロジェクトで演奏してもいいよって言ってくれたんだ。感動的な瞬間だったし、マイケルみたいな人物と友人になれてとても幸運だった。
それ以来マイケルは私の音楽をサポートしてくれている。いろんな意味でマイケルは僕にとってマイルスみたいなものだ。彼と一緒に仕事をすることによって、アーティスト、ミュージシャンとしての価値が証明される。

Cozmopolitan
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(Jason Milesのサイトでのみ入手可)

ー CDのライナーノートによるとマーカス・ミラーには「Cozmoplitan」のレコーディングが初対面だったそうですが、彼の最初の印象はどうでしたか?

JM: マーカスの第一印象は、普通の19才に比べてはるかに賢いし成熟していると感じたことだ。彼の演奏を聞いたら、その若い歳でニューヨークの音楽シーンの重要な部分を担っていくことができるという多くの尊敬を集めているのがすぐに理解できたよ。

「Cozmopolitan」を作った後は、多くの人たちが私のシンセサイザーの技術を認識し始めてくれた。マイケル・ブレッカーもそのうちの一人で、私の作品についていろいろな人に広めてくれた。レニー・ホワイトとはマイケルのおかげでつながりができたんだ。
ある晩、レニーが電話をくれて、マーカスが新しいCDを作っているので私を推薦したっていうんだ。マーカスは私のことを知ってはいたが、その時2−3年は一緒に仕事をしていなかったんだ。翌朝マーカスが電話をくれて、その後ジャマイカ・ボーイズ(訳注:マーカス・ミラーとレニー・ホワイトのヴォーカリストをフィーチャーしたR&Bバンド)となるバンドのことを教えてくれた。1985年のその日から私たちは1994年まで一緒に仕事をすることになったんだ。

時は移り変わって私たちは別の道を歩んだ。私はマーカスとの長年の経験から学んで、プロデューサーとしての道に挑戦してみなければならなかったからなんだ。 私たちは今でもよい友人で、彼がスポーツや音楽や家族などどういう風にしているか聞くのをいつも楽しみにしているよ。

ー 「Cozmoplitan」には2曲のオリジナルのヴァージョンがボーナストラックとして追加されていますが、どのように違うのでしょうか?

JM: 注意深く聞いてみればわかるよ。ボーナス・トラックは1979年の元のミックスだ。聞いてみるとドラムとベースが違うのがわかるはずだ。新しいヴァージョンではそこにエフェクターとイコライザーをかけてある。

ー 次のアルバムはマイルス・デイビスへのトリビュート作「Miles to Miles」というらしいですね。
80年代のマイルス・デイビスの名盤「TUTU」では、マーカス・ミラーがほとんどの楽器を演奏して、あなたはシンセサイザー・プログラマーとしてクレジットされています。 シンセ・サウンドはこのアルバムの中で大きな比重を占めていますが、あなたは「TUTU」の製作にどのように関わったのでしょうか?

JM: ええと、まず「Miles to Miles」はトリビュート作というわけではないんだ。1曲以外は全て新曲になっている。これは未来を見つめていて、どのようにマイルスが私に影響を与えたかということで、だからマイルス・デイビスの精神をもって「Miles to Miles」というタイトルにしたんだ。これは私がマイルスと一緒にいた5年半のミュージカル・ストーリーなんだ。最先端のミュージシャンによる先端をいく音楽なんだ。

「TUTU」については80年代の音楽制作ではシンセサイザーが非常に大きな役割を果たした。MIDIが盛んになりはじめた頃で、皆、凄い音色を欲しがっていたが、一部のアーティストにしかユニークでおもしろいサウンドは作れなかったし、皆シンセサイザーの性質を理解していなかった。私は「TUTU」制作の時点で既にシンセを12年も使っていた。

マーカスとはその時既にジャマイカ・ボーイズやデビッド・サンボーンのプロジェクトで一緒に仕事をしていんだ。ある日、マーカスが電話をしてきてマイルス・デイビスの新譜のデモを作らなきゃならないんだけど、一緒にそのデモ制作をしないかと聞いてきたんだ。私は「もちろんやるよ。」と答えた。
彼が「TUTU」を演奏してくれて、マイルスが聞けるような形のデモを作り始めたんだ。その時に「Portia and Splatch」も作ったよ。そのマーカスのデモをマイルスとトニー・リピュ-マが気に入ったのでマーカスが仕事を手に入れたんだ。その時点でマーカスは私もそのプロジェクトに引き込んだんだ。マーカスがあるパートで彼が聞こえている音を私に伝えると、それがうまくいくような構成を私が創りだすといった具合だった。素晴らしい経験だったよ。

ー 「TUTU」の最初のオーケストラヒットの音色は大変印象的で、ジャズ史に残るようなシンセ音だと思いますが、誰のアイデアでどうやって作ったのですか?

JM: あのオーケストラヒットはマーカスのアイデアだった。当時は私はCDからサンプリングしたオーケストラヒットのライブラリーを沢山もっていた。これはサンプリングのオーケストラヒットとPPGウェイブ・シンセサイザーとオーバーハイム・マトリクス12のきついエッジの聞いた音とのコンビネーションだ。これらを全て混ぜて「TUTU」のオケヒットサウンドを作ったんだ。

ー マーカス・ミラーとマイルス・デイビスのアルバム「Siesta」でも同様の役割をされたように思うのですが、このアルバムの製作はどんな感じだったのでしょうか?

JM: そうだな、このアルバムは「Siesta」という変な映画のサウンドトラックになるものだった。その映画のプロデューサーは仮のトラックとして「Sketch of Spain」(訳注:マイルス・デイビスの1959年のギル・エヴァンスとのコラボ作)を多用していたんだ。マーカスは当時マイルスのプロデュースをしていたから、彼らはマイルスを2−3曲で使いたがったんだ。
彼らは一旦マーカスの作った音楽を聴くと、映画全体に採用した。基本的にはマーカスがスタジオにこもって作曲をして、フィルム用に落とし込むために私を呼び入れたんだ。マイルスは2−3曲で演奏したけど、これはほとんどマーカスのプロジェクトだった。

ー マイルスについて何かエピソードがあれば聞かせてください。

JM: マイルス・デイビスについては素晴らしい経験がたくさんあるよ。これらの話は私のCD「Miles to Miles」の基になっているよ。ミュージカルのショート・ストーリーみたいなものだ。
例えば「TUTU」を製作していたスタジオでマイルスと一緒にいた2日目に、彼はメモ帳に棒状の物の絵をスケッチしていたんだ。彼が帰るときにそれを捨てていたので、そのスケッチをもらってもいいか聞いたんだ。そしたら、彼は「こっちへよこしてくれ。」と言うので、それを返したところ、彼はペンを取って「Miles to Miles」と書いてサインの下にトランペットを描いてくれたんだ。勿論今でもそれはマイルスからもらった他のものと一緒にとってあるよ。

ー ニュー・アルバム「Miles to Miles」制作の動機やきっかけはどういったものだったのでしょうか?またアルバムコンセプトについても聞かせてください。

JM: 最近の音楽シーンでは音楽が本当に取り上げられる機会が少ないと感じている。ジャズ界ではストレート・アヘッドな演奏をするか、アメリカではスムースジャズをやるかどちらかだ。スムースジャズはラジオでかけてもらおうとすると非常に制約の多いフォーマットだ。

マイルス・デイビスは音楽を作るときいつも進歩的だった。ファンク、ジャズ、ワールドミュージックなどを探求していたんだ。私はマイルスと彼が私に与えた影響、音楽を造り出す自分の哲学について考え続けていたんだ。私はこのプロジェクトをマイルスの私への影響を表現するものにして、創造的な音楽はまだしっかりと生き続けていて多くの人に評価されるものだということを見せたかったんだ。

このレコードのコンセプトは限界に挑んで、私が一緒に演奏したい素晴らしいアーティスト達を多くの人たちに露出させるような革新的な音楽を演奏することだ。ちょうどマイルスがしたようなことだ。私がマイルスを知っていたときに彼から学んだものは何物にも代え難い。それがずっと続いているようにも感じている。私は意味のある音楽を造ることに打ち込んでいるし、今までもそうしてきたつもりだ。マイルスがアーティスト、プロヂューサーとしての私の人生を認めてくれたんだ。そしてマイルスとマーカスと一緒に仕事をしていた時期は一生忘れることはないだろう。
このアルバムは未来とそれが持つ音楽的可能性に向かったものになればいいと思っている。時々、マイルスが肩越しに覗き込んで私が正しい決断をするのを助けてくれているような気がするよ。

ー 「Miles to Miles」以外の最近の活動について教えてください。

JM: 今はナッシュヴィルの素晴らしいアーティストで友人でもあるSuzy Boggusとワークしている。これは自分にとってはちょっとした旅立ちでもあるんだけど、彼女は素晴らしい歌手で一緒に仕事をしていて楽しいんだ。
それとまたもう1枚のイヴァン・リンスの曲のCDの準備をしている。これは前のやつとは違ったものになる予定だ。
「Miles To Miles」をライブでやる準備もしている。日本にもいければいいなと思っているよ。

ー バンドのメンバーは決まっているのですか?

JM: アメリカでの数回のライブのためのいいバンドは決めてあるるよ。

Nicholas Payton もしくはTom harrell -trumpet
David Sanchez -sax
Gene Lake -Drums
DJ logic
Sherrod barnes- Guitar
James Genus bass

ー どうもありがとうございました。


Jason Miles Official Web Site




Jason Milesがプログラミングに関わった主な作品
Jamaica Boys
1987
Marcus Miller
The Sun Don't Lie
(The King is Gone)
1992
David Sanborn
Change Of Heart
1987
Miles Davis
TUTU
1986
Miles Davis
Siesta
1987
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Jason Milesのリーダー、プロデュースの主な作品
Mr.X
1994
World Tour
1996
Celebrating the Music
of Weahter Report
2000
A Love Affair
the music of Ivan Lins
2000
To Grover with Love
2001
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Interview and translation by Masato Hashi
Photos courtesy from Jason Miles

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