古川初穂 Interview

10月8日チキンジョージレコードから、古川兄弟のセカンドアルバム「SPINNERS」がリリースされました。
古川兄弟とはキーボードの古川初穂、ギターの古川望のふたりを中心としたバンド。Jフュージョンの真髄ともいえるプログレがかった緻密で迫力のあるサウンドが特徴です。今回リリースされたセカンド作について、リーダーの古川初穂さんにお話を伺いました。

ー 「古川兄弟」の活動をはじめたきっかけとは何だったのですか。

古川初穂(以下初穂):  もともと、弟(ギターの古川望)と20年前に「羅麗若」(ラレイニヤ)っていうバンドをやっていたんですよ。古川兄弟の母体はそれなんです。

ー 復活までに20年ぐらい間が開いたことになりますが、その間にもう一回やろうという話は出なかったんですか?

初穂: もちろん僕らもやりたいと思っていたけれど、再開のきっかけがなかったんですよ。いろいろ忙しくてね。直接のきっかけになったのは、99年に則竹裕之君のアルバムをプロデュースしてから、則竹セッションを京都ラグでやったことでした。

 このライヴに、僕がキーボード、弟がギターで出ていたわけです。そのとき羅麗若のマネージャーだった人が来てくれて、「これはもう一回やろう。羅麗若を復活させようよ」と言ってくれたんですね。それじゃ、ドラムは則竹君でいこうかということになった。彼は羅麗若のファンだった人ですから、僕らのことをよくわかってくれていて、端正なドラムを叩いてくれますね。

 サックスの小池修君とはVALIS以来のつきあいで、彼はジャズの要素を加えてくれている。ベースの永井敏己君は、望の紹介で知り合ったんですが、彼はプログレの要素を加えてくれていますね。

Spinners
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ー 古川兄弟のとき、初穂さんはキーボードを多く演奏していますが、その他の場所ではピアノのほうがメインなのですか?

初穂: そうですね、ふだんはジャズピアノを弾くことが多いです。ピアノトリオなんかをよくやっています。キーボードも弾きますけれど、趣味みたいなもので(笑)。古川兄弟はエレクトリック・サウンドをやっているので、キーボードがメインですけれども。

ー 古川兄弟のサウンドというのは、何がベースになっているのでしょうか。

初穂: 基本はロックで、プログレとジャズの要素も入っていますね。

ー ファーストアルバムのときから、すでに「古川兄弟のサウンド」というものが確立されていますよね。

初穂: 望と僕は同じ家で育っているわけで、聴いてきたものが同じなんですよ。お互い「こう弾いてほしい」というのがわかるんですね。そういうニュアンスというのは、知らない人に説明するのは、すごく大変で、なかなかうまくいかないことが多いんですよ。その点、僕ら兄弟はすごく楽なんです。

ー 初穂さんと望さんは、何歳違いなんですか。

初穂: 4歳ちがいです。でも、ステージに出たのは望のほうが早くて、中学・高校からやっていましたね。僕は高校時代にバレーボールをやっていたもので、ステージに出たのは大学に入ってからでした。

 僕は小学校のときにピアノを習っていましたが、中学校のときにはレッスンがいやでやめてしまった。でも、ピアノを弾くのは好きで続けていました。高校になってからはイエスやエマーソン・レイク・アンド・パーマーみたいなプログレが好きで、よくピアノで真似したりしていましたね。

古川兄弟
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ー 羅麗若をはじめたのは、大学からですか。

初穂: そうです。関西大学に入って、そこの軽音楽部にあったバンドが羅麗若だったんですよ。そこのキーボードが空席だったので、オーディションをして入れてもらったんです。さらに、ギターの人が卒業してやめてしまって、探しても誰もいない。じゃあ、大学生じゃないけどいいかということで、うちの弟が入ったんです。

ー その後上京なさるわけですよね。

初穂: 羅麗若で上京しようなんて言っていたんですが、関西を離れられないメンバーも多かったんですね。それで解散することになった。僕はひとりで上京して、そのあと望が半年ぐらいしてから来たのかな。それからお互いミュージシャンの仕事をしているわけですが、あまり一緒に演奏することはなかったですね。僕はジャズ、望はロックみたいな感じで。ときどき同じツアーに参加したり、スタジオで会ったりするぐらいでした。

ー それでは、古川兄弟というバンドはとても貴重な場なんですね。

初穂: やっと自分たちの音楽がやれる、ここに戻ってきた・・・といったところでしょうか。とにかく、やりたい感じについて、お互いツーカーなのが大きいですよ。望のギターをイメージして曲もつくっていますから。

ー 古川兄弟のサウンドには、非常に透明感がありますね。

初穂: そういうのが好きなんですよ、僕も、望も。音色もそうだし、コードの積み方やハーモニーも関係しているのかもしれません。特に「透明感を出そう」なんて思って意識しているわけではないけれど。僕らが影響を受けたバンドも、ヨーロッパのものが多いです。アメリカよりヨーロッパのほうが透明感があるんじゃないかな。もちろん黒っぽいものも大好きですが。

古川初穂
'82年『羅麗若』(ラレイニヤ) でデビュー。矢沢永吉、EPO 等レコーディング&ツアー参加を経て、布川俊樹率いる “VALIS”、水野正敏&村上ポンタ秀一率いる“METHOD”等に参加。学生時代から“羅麗若”のファンだったと言う則竹裕之ソロアルバム“Dreams Can Go”をプロデュース。このバンドでの兄弟競演がきっかけとなり、“古川兄弟”を結成することとなる。

ー レコーディングは順調に進んだのですか?

初穂:  そうですね、ファースト・テイクを使ったものが多かったです。緊張感があっていいんですよ。2回目以降は「こうしようかな」とか、雑念や欲が入ってしまって(笑)。これがまた、みんな上手なので、1回目でもいい演奏なんですよ。

ー レコーディング前に楽譜は渡してあったんですか?

初穂:  ええ、前回のライヴで一度すでに演奏していたんですね。それに、みんな練習の鬼なんですよ(笑)。ものすごく、よく練習してきてくれて。結局リズムどりは2日で終わりました。ただ、「Reflections in the water」は、難航してね。何度も何度もやり直したんですが、結局ファーストテイクが一番いいね、ということになっちゃいました(笑)。

ー 初穂さんは、わりとスムーズに曲ができるほうですか?

初穂:  いや、こだわりがいろいろあって、かなり真剣に考えているので、なかなか(笑)。「うーん、これは合わないな」とかね。でも、僕はバンドっていう形式が好きなんですよ。羅麗若はアマチュアだったけれど、週に2回スタジオを借りて練習をしていました。みんなで音を作って、バンドのサウンドができあがっていく、その感じがいいわけです。

 ところが東京に来てプロのミュージシャンとして活動してみると、バンドとは名乗っても一緒に練習する時間がなかなかとれなくて、本番前にリハーサル1回しか合わせられなかったりする。それだとなんだかセッションみたいなんですよ。

 でも、古川兄弟ではバンド・サウンドが出せるんです。もちろん今回のアルバムのレコーディングも、本当にみんな忙しくてリハーサルもとれなかったけれど、このメンバーは僕の曲を本当によく理解してくれています。だからやりやすい、すばらしい。だから少ないリハーサルでも、バンドになれるんです。ものすごく完成度の高いサウンドになっていると思います。

ー 先日にも目黒のブルースアレイでライヴがありましたね。

初穂: いや、あの日はみんな曲への理解度が最高潮に達していました。自画自賛になりますが(笑)、もう完璧で、説得力もすごかったですね。演奏していて気持ちよかった。望も「今日は気持ちよかったね〜」と言っていました。自分としては、プレイヤーとして演奏したい気持ちもあるんですが、作曲家として自分の曲を聴いてもらいたい部分が大きいんです。

ー ぜひ、ライヴの回数を増やしてほしいです! 

初穂: そうですね、できれば毎月1回はライヴをやりたいし、地方でも演奏したいんですよ。ジャズフェスにも古川兄弟として出たいですし。ただ、メンバーがみんな売れっ子でね、忙しくてスケジュールが合わないんですよ。それが難点でね。でも、3枚目に向けてライヴも増やしたいし、さらに僕らの世界の完成度を高めていきたいですね。


古川兄弟ウェブサイト

古川初穂公式ホームページ



文・山本美芽(http://homepage1.nifty.com/mimetty)

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