サキスフォニストであり作曲家である、マイケル・ブレッカーのキャリアについて語るには、彼がやったことを扱うよりも、彼が音楽でやっていないことを考えたほうが簡単だ。
フィラデルフィア・エリアで生まれた有能な10代の天才、ブレッカーは20歳でニューヨークへ移り住み、70年代初期のジャズ・ロック・フュージョン・バンドのドリームスに兄のトランペッター、ランディーと加わり、すぐにコロンビア・レコードとの契約をとった。ホレス・シルバーと仕事をした後、マイケルはまたランディーと一緒に元マハビシュヌ・オーケストラのドラマー、ビリー・コブハムのために吹き、その後ブレッカー・ブラザーズを結成した。(またブレッカー兄弟は80年代に閉店して人々に好意的に記憶されている小さなジャズ・クラブ、セブンス・アヴァニュー・サウスの共同経営者としてナイト・クラブ・ビジネスにも手をそめていた。)そして20年近くの間、マイケル・ブレッカーは音楽界で最も多作のサキスフォニストの一人であり、エアロスミスからザッパのようなロックバンドとも演奏している。彼のサックスはポール・サイモンとアート・ガーファンクルやジョン・レノンやリンゴ・スターのアルバムでも聞くことができる。彼の過剰なまでのポップスでの共演にもかかわらず、チャールス・ミンガス、デイブ・ブルーベック、マッコイ・タイナーなどの伝説的人物を含むあらゆる筋のジャズ・アーティストともセッション・ワークをしてきた。
だからブレッカーの最新アルバムNearness of You: The Ballad Bookが、ピアニストにハービー・ハンコック、ギタリストにパット・メセニー、ベーシストにチャーリー・ヘイドン、ドラマーにジャック・ディジョネット、そしてゲスト・ヴォーカルにジェームス・テイラーというオールスター・メンバーをフィーチャーしているのは全く驚くにあたらない。実際のところジェームス・テイラーの起用はちょっと変わった選択だが、彼はHoagy Carmichaelの古いナンバー"The Nearness of You"と自身の曲"Don't Let Me Be Lonely Tonight"を見事にこなしている。(ブレッカーはこの曲の1972年のオリジナル・ レコーディングでサックスのブレイクを取っている。)
その他のアルバムのハイライトは、ブラジルの曲"Nascente"の優雅に駆け下りるメロディー、ギル・エヴァンスとマイルス・デイビスのMiles AheadのヴァージョンからインスパイアされたWeill/Gershwinの古典 "My Ship"の夢のようなヴァージョンだ。ブレッカーはダウン・テンポの2曲の自作曲を提供している。"Incandescence" は柔らかく変化していく、ゆっくりと回転しているような曲だ。そして"I Can See Your Dreams" はThe Ballad Bookのエピローグで激しいダイナミクスが注ぎ込まれる愛らしい、そしてほとんどリズムがないようなメロディーの曲だ。
マイケル・ブレッカーはピアノにデイブ・キコスキー、ベースにピーター・ワシントン、ドラムにカール・アレンをフィーチャーするアコースティック・ブレッカー・ブラザーズの2001年夏のヨーロッパツアーのために準備をしている最中にCDNOWに語ってくれた。
CDNOW: Nearness of You: The Ballad Bookを二つの章に分けたというのはLPの裏表をもう一度やってみようというアイデアなのですか?
Michael Brecker: そうとも言えるね。LPのアルバムが許してくれた単純さというのはある意味で懐かしく思うよ。曲数が少なかったし、裏返すときの切れ目というのが好きだった。サイド1とサイド2の曲順を決めることができるのが、好きだった。それは何となくリスナーにとってもちょっと気楽で、ある面ではちょっと心地よいものだった。それに入り込んでしまったということなのかもしれない。本当はこうしようと計画していたわけではないんだけれど、レコーディングしていくうちに、曲が強く関連してはいるのだければ、ちょっと違うという2つのグループに分かれていることに気が付いたんだ。もし、それぞれの章を特徴づけるとすれば、最初の章はより少しだけ親密な感じで、2番目は多分少しだけより内省的だと言えると思う。
「このレコードに参加しているミュージシャン達は皆、熱いプレイができることで知られているんだ。そこで僕達はその激しさを保持したまま、違う方法でそれを利用してみようとしたんだ。」 |
あなたのヴァージョンの"My Ship"はマイルス・デイビスとギル・エヴァンスのヴァージョンを基にすることによって、ある意味で、これらのレコーディングがアメリカの古典音楽の領域に入ってしまったという考えを強く持ちますね。
僕も同意するよ。あれは重要なレコードだ。そして確かにそれら全てのアレンジはあなたが言ったようなカテゴリーにあてはまるね。尊敬を払うというのはいいことだよ。それにギルのアレンジは小編成のグループにも本当に自然にあてはまる。
最後の曲"I Can See Your Dreams."では、ちょっとだけテンポがあがっているようですね。
ちょっとだけ羽目をはずしたんだよ。(笑)バラードのレコードを作るというコンセプトは、おもしろいテンプレートになった。それは僕達に特定の枠組みの中で全ての才能を働かせ、持ち寄ることを強制することになった。そしてこのレコードに参加しているミュージシャン達は皆、熱いプレイができることで知られているんだ。そこで僕達はその激しさを保持したまま、違う方法でそれを利用してみようとしたんだ。
あなたがこのアルバムのために集めた他のメンバーから考えてみると、多分ジェームス・テイラーと一緒に演るということにはならなかったかもしれないと思うのですが。
最初はちょっとやり過ぎかなとも思えたんだけれど、実際にはそうではなかった。本当にエキサイティングだったよ。なぜなら僕は心の中でジェームスがハービーとパットとチャーリーとジャックをバックにつけているところを簡単に聞くことができたからなんだ。それに僕は長年にわたって何度もジェームスと仕事をしてきた。僕達は多分1970年から友人で、僕はいつもジェームスの声と音楽性の大ファンだったんだ。彼はすばらしいギタリストかつ偉大なミュージシャンで、僕は何となくそこにジャズ・シンガーが潜んでいるのがわかってたんだ。なぜかと言うと、彼と一緒に演奏したときに、彼が歌を歌うとき、彼はお決まりの形には固執せずに、いつも違ったように歌うことを知っていたんだ。
ジャズのアーティストがポップスのアーティストをアルバムで起用するときは多くの場合、ヒット狙いの企てなのですが、今回の場合はそうでもないようですが。
う〜ん。バラードのレコードだからね。ヒットを狙う必要はなかったね。(笑)
僕はいつもコルトレーンのバラードのレコードとコルトレーンとジョニー・ハートマンのアルバムにあこがれていたんだ。それにこれは本質的に僕の原点のようなものだからね。
あなたは今までに数多くのセッションをしてきていますが、人々が「セッション・プレイヤー」を低く見下すように考えるのを感じたことはありますか?
う〜ん、自分では決してそういう見方をしたことはない。でも確かにそういう考えかたに出くわしたことはあるよ。(笑)それで僕がどうなったかというと、進行過程において我慢強さを少し失ってしまったみたいだね。そうなると、自分の方向でただ新しいことを始めてしまう。今でも時にはサイドマンとしてプレイしたり、レコーディングでゲストとしてフィーチャーされるのも、何か興味がもてるものなら大好きだよ。
「70年代に活躍したいくつかのバンドは本当にすばらしかったと思う。特にウェザー・リポートやチック・コリア、マハビシュヌやいくつかのマイルスのバンドなどはね。」
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70年代フュージョンの中心にいたものとして、あのしょちゅう悪く言われていたような時代が、またリバイバルしてくる時期が熟しているように思いますか?
誰にもわからないよ。何らかのリバイバルみたいなものはくると思うけど、多分違ったやり方でだろうね。リユニオンのバンドのようなものを言っているのではなくて、もっと若いミュージシャンによって、その灯火はまたピックアップされるのだと思うよ。確かに、あの頃は多くの場所で、しょっちゅう悪口を言われるジャンルだった。でも、僕の心の中では、70年代に活躍したいくつかのバンドは本当にすばらしかったと思う。懐かしく思うよ。その創造性というのを懐かしく思うね。2−3の例を挙げるとすると特にウェザー・リポートやチック・コリア、マハビシュヌやいくつかのマイルスのバンドなどはね。彼らは多分過小評価されていると思うんだけど、僕の心の中では極めてはっきりと偉大なものとして残っている。偉大なバンドと偉大な創造的試みだ。目を見張らせるようだったよ、実際に。
セブンス・アヴェニュー・サウスを経営することによってどんなことを学びましたか?
簡単なビジネスじゃないってことがわかったよ。もう一方の側を理解するということと、ずっと開店させてかつ機能させておくということで毎週おこる技術的な問題についても確かに学んだ。もう一度やってみるとしたら、考えなおすだろうね。これも学んだもうひとつのことだ。(笑)でも同時に全く後悔はしていないよ。