(2007.09.15)
フュージョンの始祖の一人とも言えるジョー・ザヴィヌルが9月11日に故郷のウィーンの病院で亡くなった。
享年75歳。
マイルス・デイビスの「Bitches Brew」、「In A Silent Way」などフュージョンの基礎となった歴史的セッションに参加、その後自らリーダーとしてウェイン・ショーターとウェザーリポートを結成し、フュージョン・シーンをリードしてきた。
ウェザー解散後もザヴィヌル・シンジケートを率いて亡くなる直前まで精力的な活動を続けていた。
故人を偲ぶために簡単にジョー・ザヴィヌル翁の経歴を辿っていこうと思う。
1932年7月7日にオーストリアのウィーンで生まれたザヴィヌルは1958年にバークリー音楽院の奨学金を得てアメリカに渡っている。
ただし、バークリーに在籍していたのはたったの1週間で、メイナード・ファーガソンのバンドに参加するために退学。
その後スライド・ハンプトン、ダイナ・ワシントンらのバンドを経て、キャノンボール・アダレイのバンドに参加。
キャノンボールのバンドには1951年から1970年の9年間も在籍し、そこで今もソウル・ジャズのスタンダードとして数多くのアーティストにカバーされている「Mercy Mercy Mercy」を生み出している。
キャノンボールのバンドに在籍中にエレクトリック・ピアノ、フェンダー・ローズを使いだして、発明者のハラルド・ローズ氏に初期型の改良をアドバイスしていたという。
そして1968年から69年にかけてマイルス・デイビスの「In A Silent Way」のレコーディング・セッションに参加。
ここではチック・コリア、ハービー・ハンコックとのトリプル・キーボードという編成で演奏しているが、ザヴィヌルは「Directions」とタイトル・ナンバーの「In A Silent Way」を提供し、この歴史的作品で大きな役割を果たしている。
「Directions」のテーマでのマイルスとウェイン・ショーターのホーン・アンサンブルは振り返って聴いてみるとその後のウェザー・リポートのザヴィヌルのシンセとショーターのアンサンブルを彷彿させるものを既にもっている。
69年から70年にかけては同じくマイルスの歴史的作品となった「Bitches Brew」のレコーディングに参加、ここでは主にチック・コリアとのツイン・エレピで演奏している。
1970年には4枚目となるソロ・アルバム「Zawinul」を発表。
アコースティック・ジャズ作品であったそれまでのソロ作とは違いマイルスとのレコーディングを経て完全にエレクトリック化されたサウンドになっており、そのホーンとエレピのオーケストレーションにはウェザー・リポート・サウンドの萌芽を完全に聴き取ることができる。
1970年11月にサックスのウェイン・ショーター、チェコ出身のベーシスト、ミロスラフ・ヴィトウスとともにウェザー・リポートを結成し、71年2月から3月にかけてデビュー・アルバム「Weather Report」をレコーディングしている。
デビュー・アルバムのその他のメンバーはドラムス、アルフォンソ・ムザーン、ツイン・パーカッションにアイアート・モレイラとバーバラ・バートンである。
その後85年の解散まで15年間に渡って活動を続けたウェザー・リポートはザヴィヌル、ショーター以外のメンバーは頻繁に入れ替わることになる。
76年にベーシストがアルフォンソ・ジョンソンからジャコ・パストリアスに交替した「Black Market」でバンドはひとつの絶頂期を迎え、続く77年の作品「Heavy Weather」は大ヒット作となり商業的な成功も収める。「Heavy Weather」に収録されていた「Birdland」はラジオでも頻繁にオンエアされるヒット曲となり、マンハッタン・トランスファーによるカバー・ヴァージョンも話題を呼んだ。
また当時のライブ盤「8:30」での凄まじいテンションの演奏も歴史に残るライブ盤と言ってよいだろう。
1985年にショーター脱退に伴いウェザー・リポートが解散した後は、ウェザー・アップデイトを経て、ザヴィヌル・シンジケートを結成、直近まで活動し、シンジケートとしては2005年のライブ・アルバム「Vienna Nights」が最期のアルバムとなった。
サウンドはウェザー・リポートの延長線上のもので、ザヴィヌルのシンセ・オーケストレーションにアフリカや中近東の影響が色濃いリズムが絡み合っている。
ウェザー・リポート同様、ドラムのパコ・セリ、ベースのリチャード・ボナなど多くのリズム・セクションのタレントを輩出している。
今年の夏にはザヴィヌル・シンジケート結成20周年ツアーをヨーロッパで行なっており、7月7日のスイスのルガーノでのジャズ・フェスの75歳のバースデイ・ライブの模様はヨーロッパでTV放映され、元気な姿を見せていただけに、突然の訃報は残念でならない。
ジョー・ザヴィヌル公式ページ
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