5才の娘がいます。職場窓の横に阪神高速が走っていて事件当日あの時間はサイレンやヘリコプターの音で目の前にある電話の音が消され、何事かと驚きましたが、昼休みに事件を知り、娘が通う保育所とダブリ、体が震え涙が止まらなくなりました。その後もTVや通勤電車でも新聞の見出しを見る度涙が溢れるという毎日が続きました。今この企画を知って泣きながら文を打っています。運命とは受け止められない事件が多い昨今、もし、なんて考える余裕はありません。後悔先に立たず、防げる事を怠らず関係職にある人はプロの自覚を持って臨んで欲しいです。


私にも小学校3年生の子供がいます。ご家族のお気持ちを思い、自分に置き換えるとやりきれない気持ちです。このようなことのないよう、社会を良くしていくことが子供達のためにわれわれ大人たちがやらなければならないことだと強く感じています。この事件で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。


私は、昭和17年3月の生まれです。あの、太平洋戦争の時は3歳でした。
アメリカ空軍の大空襲、機銃照射、幼かった私もあの恐怖は今でも忘れることはありません。戦争と言えばそれまでですが多くの非戦闘員の一般市民が亡くなりました。この平和な日本であんな悲惨な出来事。亡くなったお子達には哀悼の意を表します。命のあったお子達もこの恐怖は私同様一生忘れることはないでしょう。合掌 
[次へ] [戻る]